住職の言葉
「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤
住職の言葉 - 一覧
2021年12月1日 - ≪今月の言葉≫
古傘で風呂焚く暮れや煤拂 高浜虚子
煤払いは暮れの恒例の行事です。
この句から青森県外が浦の「雁供養」の話を思い出した。
雁が残した枯れ枝で焚いたお風呂を振る舞う。
「恩返し」ではなく「恩送り」の温かさ。
2021年12月1日 - ≪法話≫
12月のお話
お釈迦様を祀る大事な日は年に3回あります。
1つめはお生まれになった4月8日の降誕会(ごうたんえ)。2つめはお亡くなりになった2月15日の涅槃会(ねはんえ)。そして3つめがお悟りになった12月8日の成道会(じょうどうえ)です。
12月8日は日本がアメリカに戦線布告した日でもあり、またビートルズのジョン・レノンさんが亡くなった日でもあるので、どうも成道会は一番影を潜めているような気がしますが、私たち仏教徒にとってはとても大事な日です。
お釈迦様は六年の間苦行を重ね、身体はやせ衰え衰弱しきっていました。そこに通りかかった少女スジャータさんからミルク粥を貰い体力を回復されて、ピッパラ樹の下に座り瞑想に入られました。12月8日の明けの明星が輝く中、お悟りを開かれブッダ(仏陀)となられたのです。つまり、極端な苦行を捨て、中道を選択されたことで、ブッダとなることができたのです。それから49日の間座り続け、この教えを人に説くべきか悩まれた後、伝道の歩みを始められたと伝えられています。
その後35年間伝道の生活をされ、あらゆる人々にそれぞれに合わせてたくさんの教えを説かれました。この教えが伝承され、お経典として伝えられているのです。
よく人は恩を受けたら返さなければだめだと言いますが、性急な恩返しは恩返しにならないと言われています。そもそも本当に大事な親への恩とか、教えの師への恩は、これくらい返せば良いというものではないはずです。一番大事なことはその恩の重さ、大きさをよく知ることだと言うことで、恩を知ること「知恩」であると言われています。ここから「知恩院」というお寺の名前ができました。そして行動に起こす時は直接の「返恩」ではなく、別の人のために何かしてあげる「送恩」が良いと言われています。
昔聞いた話ですが、青森県外ヶ浜では、毎年越冬で北から飛んでくる雁は、津軽海峡を越えるため、枝木をくわえて飛び、時々海の上に落としてそこで休みながら海を越え、外が浦に着くとそこに落としてゆくそうです。そして春になるとまたその枝を拾って海を渡ってゆくというのです。しかし南の地で死んでしまった鳥の枝は春になってもそこに残っているのです。そこで地元の人はその枝を集めて風呂を焚き、人々に振る舞って雁供養をしているという話です。楽しませてくれる雁に感謝しての行為です。これも「送恩」です。
先日東日本大震災の被災者の人が、今シリアの人々に着る物を送っているという話を聞きました。まさに「送恩」です。自分達がして貰ったことを他の人にしてあげる行為。尊いですね。
合 掌
2021年11月1日 - ≪法話≫
11月のお話
コロナの感染状況が極端に減ってきた今日この頃、しかしその理由が曖昧模糊の中、選挙も終わり六波の襲来が来るのではないかと不安な日々を送られていることかと思います。
そして、最近地震がたびたび感じられ、先月7日には震度4の地震がおき、当寺でも本堂の瓦が一部損壊するなど、被害がありました。総代の重田氏の取り計らいもあり、翌日速攻で瓦屋さんに来ていただき修理することができ、ありがたく思います。
『今月の言葉」で取り上げあげた良寛さんは、文政11(1828)年の11月12日、越後の三条を襲った大地震に遭遇しています。倒壊家屋98,100戸、焼失家屋1,200戸、死者1,443人の大地震でした。このとき71歳の良寛さんは、知人の山田杜皐に宛てて書簡を送り、その中で「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」 災難に遭うときは、災難を災難とあきらめて、無心で受け止めればいい。災難の中で、あれこれ思い煩うことをやめよ。というのが良寛さんの教えなのでしょうが、それは禅僧だから言えることで、我々はそうとわかっていても、なかなかできることではないでしょう。先日の時も家中を点検し、たいした被害がなかったことを確認して床につき、翌朝外に出て、本堂の屋根に気がつき愕然とした次第で、「災難に遭うがよく候」とはなかなかゆかないものです。
そもそも禅の公案や禅僧の話はついてゆけないことが多い、中国の趙州和尚はある僧の「狗子(犬)に還って仏性有りやまた無しや」という問いに「無(ない)」と答えている。犬に仏性が有るかないかという問題は、仏教学的には「有る」に決まっている。猫だろうが猿だろうが、どんな人間にだって仏性はみんな持っている。にもかかわらず、「ない」と答えたのはなぜかといえば、それはこの僧の問い自体がおかしいからだという。生きとし生けるもの全て仏性があるか?そのことに悩んでいる僧に、悩んで決める有るとかないとかではなく、絶対にあるという高次元の有るなのだと教えたくて、わざと「ない」と答えたという。そういえば臨済の公案に「猫を殺せ」というのが有るという。ここまで来るともうついてゆけない。
法然上人のお弟子のひとり証空上人は自らのお念仏を「白木の念仏」と言っている。私たちは何かをするとき、とかく理屈をつけたくなります。お念仏であっても大乗の悟りだとか、教学的理解だとか、戒律や禅定といったもので念仏に色どりをつけてしまう。「そんな色どりは何もいらないので、私の念仏は白木の念仏です。ただ唱えればいいのです」という。素直でまっすぐ、それがお念仏の心です。
合 掌
2021年11月1日 - ≪今月の言葉≫
うらを見せおもてを見せてちるもみぢ 大愚良寛
これは良寛さんの辞世の句です。
また、子どもの頃よりずっとかわいがってくれた方が亡くなった。
最後の弔いを、自分でできることにありがたく思い。
ただただお浄土の存在に感謝する。
2021年10月1日 - ≪法話≫
9月の秋彼岸法要の様子・10月のお話
今年の春「正僧正」の位をいただき、「緋衣」の被着許可をいただいたことを、お檀家さんに報告したところ、多くの方から多大なるお祝いを頂戴しました。そこで、感謝の思いを形に致したく、昭和29年の本堂落慶以来新装していませんでした「夏の七条袈裟」を製作しました。そのお披露目もかねて秋彼岸会の中日法要をつとめました。
立派な衣、立派なお袈裟を着けると思い出すお話があります。
とんちで有名な一休禅師のお話です。一休禅師が大覚寺に入り、それなりのお歳になってからのお話です。
京都の商屋で盛大な法要があり、その導師を一休和尚に依頼した。一休和尚は気楽にその役目を引き受けた。当日一休和尚はどこから見つけてきたのか汚らしい衣と袈裟を着け、手足にすすをつけ、菰をかぶってその商屋に行き、玄関から入ろうとした。
びっくりしたのは家の主人で、「見苦しいやつじゃ、さっさと追い出せ」と下男に命じ、一休和尚はさんざん棒で打たれて、外に追い出された。
その後和尚は、立派な衣に金襴の袈裟をつけて、堂々と商屋の門前に立った。主人は「どうぞ、どうぞ」と奥に案内しようとした。「いや、愚僧はここで結構です」と一休禅師は動こうとしない。 「ここは下郎の座るところ、、さあ、どうぞ奥へ」という主人に、「ではわしの衣だけを奥へ連れて行って下さい。中身のわしは、ここから追い出されたのですから」
実はこの話、3世紀にインドで成立した『大智度論』に全く同じ話があると言います。カシミールの僧が粗末な衣で訪れたとき、門前で追い返され、立派な衣を借りて行くとすばらしい供養にあずかった。そこで僧は、供養の品をその衣服に与えたという。
日本でもインドでも、昔から人間を外見で判断する傾向がありますが、仏教者が好んでこの話を書いているのは、僧侶の側がしっかりとそのことを理解しなければならないことを示しているからでしょう。立派な衣や金襴の袈裟を着けると、それだけで偉くなったように勘違いしてしまう人間の弱さも、着ける側はしっかり理解して気をつけていなくてはならないということでしょう。
知り合いの僧侶で、わざとぼろぼろの衣や袈裟を着けている人がいますが、それもおかしな話で、檀信徒の思いもしっかり受け止め、自分自身の意識をしっかり保つことを心がけたいと思います。
十月は衣替えの季節です。とはいえ最近では学生さんと僧侶くらいしかそれを知ることができないのは寂しい限りです。
合 掌
2021年10月1日 - ≪今月の言葉≫
お十夜や一人欠けたる世話ばん婆 河野静雲
今年は亡くなる方が多く、寂しさがつのります。
特に念仏会や行事に欠かさず来ていただいていた、
人気者のおばあさんは、今お浄土から我々を、
きっと見ていてくれるでしょう。