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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2024年7月1日 - ≪今月の言葉

盆用意すべてととのひふとむなし  長谷川浪々子

    東京は七月盆です。まだ梅雨が明けない季節ですが、

    新盆を迎える方にとっては、還ってきてくれるお盆も、

    用意をすることに虚しさを感じてしまうことでしょう。

    でも当日は、還ってきてくれることを信じて過ごしましょう。

2024年7月1日 - ≪法話

7月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 今年は梅雨入りが遅く、お盆の時はまだ梅雨のまっただ中になりそうですね。お盆の始まりはそもそも雨安居の終わり、梅雨が明け一緒に暮らしていたお釈迦様のお弟子たちが、共同生活の間に犯した自分自身の罪を懺悔する会で供養することから始まったといわれていますが、七月盆はどうも例年梅雨明け前に行われるようです。
 いま日本で行われているお盆は、その起源話とは異なり、亡き方、ご先祖が一年に一度還ってきてくれるときだと言われています。八月盆だとわかりやすく帰省ということで、日頃は離れている肉親が帰ってきてくれる日ということになり、これもお盆の重要な儀式といわれています。つまりかえれる場所、家族がいることの素晴らしさ、安心感の確認、それがお盆の重要な意味合いです。
 帰れるところというと、室生犀星の有名な詩に「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しく うたふもの」がありますが、室生犀星はふるさとそのものよりも、ふるさとを懐かしむ心が大事だと言いたかったと言われています。また女性に大人気の詩人中原中也は、『帰郷』という詩で「これが私の古里だ さやかに風も吹いている 心置きなく泣かれよと 年増婦(としま)の低い声もする ああおまえは何をして来たのだと 吹き来る風が私に云う」(以下省略)ふるさとのもっているやさしさと厳しさ、それが感じられる詩です。
 作家の重松清さんはふるさととは、一番近くにいる人を一番好きでいられる場所、遠く離れてしまった人に『お帰り』といえる場所、助けを求められたらいつでもどこでも駆け付けられる場所の三つをあげています。これはある映画のフレーズだそうですが、あなたがどんなになろうとも、それを許して受け入れてくれるところ、そして人がふるさとなのでしょう。
 作家の阿部譲二さんが昔刑務所に入ったとき、面会に来た母親に「ごめんなさい」と謝ると、母親に「なに、おまえが刑務所入ったおかげで、普通見れない塀の中まで見ることができた」と言われたとあります。阿部さんはこの言葉で立ちなおる気持ちになったと言っています。もしあの時怒られていたら、また反発して何も変わらなかったでしょうと。
 自分がどんな状態になったときも、見捨てず、認めてくれる存在があったら、人はまた生きる力を持つことができます。それが場所であり、人であり、また見えないご先祖であっても、自分が戻れる場所があること、それが一番大事なことでしょう。そしてそれを確認する時が、お盆の季節といえるでしょう。                             

合 掌

2024年6月1日 - ≪今月の言葉

紫陽花や きのふの誠 けうの嘘  正岡子規

アジサイの花が雨に濡れるとあざやかな色合いに変化します。
また、乾燥すると色があせたりもします。
このようなことから花言葉は「無常」と表現されます。
常に変化し続ける人の思いも、観方一つで変わってゆくのだと思います。

2024年6月1日 - ≪法話

6月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 先月18日は、大施餓鬼法要が近隣の僧侶とご一緒に盛大にお勤めさせていただくことができまして感謝申し上げます。日中は30℃近い気温となり、朝夕は20℃前後と寒暖差の大きい日となりました。なかなか、この気温差はからだの負担も大きいように感じます。
 さて、今月は梅雨時の雨の季節です。梅雨に入れば、毎日傘を必要とし、少し煩わしい季節のように感じますが、曹洞宗開祖の道元禅師の『正法眼蔵随聞記』の一節に「一日、示に云く、古人云く、霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」と云われ、霧雨の中を歩いていると、知らぬ間に衣服が濡れてしまうように、それと同じく、よき人と、よき友人と、よき教えと交わっていると知らぬ間に自身が良き方向へと導かれていくという言葉です。このように思えたら、濡れることも少し違って見えてくるのかもしれません。
 ただ、昨今よく耳にする線状降水帯と言われる大雨となると、ビショビショになるし、酷い時にはいのちの危険を感じるほどのこともあり、過ぎ去るのを待たなければならないこともあります。
 このように雨を、悲しみに喩えることができると思います。傘をさせば済むような雨であれば、傘のようになりその悲しみに寄り添い、心を穏やかにすることができるかもしれません。また、その雨が激しければ、家から出ることもできないように、立ち止まり過ぎ去るのを待つことしかできないかもしれません。
 ですが、そのような悲しみの中でも、その苦しい気持ちの中でも、その名を称えれば必ずお救い頂ける念仏の御教えに出会えたことを嬉しく思うと同時にありがたく思います。
また『無量寿経』の一節に、仏法を雨に喩え「法雨を澍(そそ)ぎ、法施を演(の)ぶ」とあり、雨は大地を潤して植物を生育させ、また生きとしいきるものの命を支える水を与えるとも云われます。つまり雨は悲しみだけではないのです。
 まだまだ若輩者の私ですが、いろいろな出来事に出あい立ち止まってしまうこともありますが、お念仏とともに生きていくことは悲しみが癒えるだけでなく、その糧ともなるということ、そんな思いを気づかせさせて頂ける月になるように感じます。
 

合 掌

2024年5月1日 - ≪法話

5月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 先月は地方自治の長が相次いで差別発言や、ハラスメントを起こす不祥事が続き、3人もの長が辞任されました。私は現在浄土宗人権啓発委員会の委員長でもあり、興味深く見ていました。
 最初の静岡県知事の職業差別の発言は、目の前の人を持ち上げんとするため、いない人を差別する悪質なものでしたが、月末に露見した東郷町長のパワハラ、池田町長のセクハラは、何年にも及ぶ悪質な犯罪で、行為者一人の問題ではなく、取り囲むその社会全体の犯罪だと思いました。
 たとえ告発者がいても、それを握りつぶす構造的権力の問題です。これはハラスメントの問題では必ず起こることです。ハラスメント問題は、地位のある人が部下など反論できない人に対して起こす犯罪で、地位のある人をかばう人が必ず出てくるものです。実は宗教界でも今年14年に及ぶセクハラ、パワハラが明らかになった事件があります。まだまだ調査中とのことですが、この処置を誤ると、宗教教団も大変なことになるでしょう。組織はしっかり真摯に向き合って、加害者がどんなに偉い人であろうとも、被害者の心に向き合った結論がでることを望みます。
 先日香取貴信さんの講演記事に感激しました。彼はあの世なんてないと思っている人と、あると思っている人がいるとし、自分はどちらでもいいがと前置きして、もしないと思っている人は、きっとこの世がすべてなのだから、他人の迷惑など関係なく、自分の好きなように生き、エゴを通した一生を終わるだろうとしています。実際あの世がなければそれで終わるでしょう。けれど、もしあの世があったら、死後きっと彼は思うでしょう、「あれあったんだ、やばい地獄が見えてきた」と。
 またあの世があると思っている人は、人のことをまず考え、自分のことは後回しにしても、世のため人のために尽くす一生を終え、亡くなったとき、あの世がなければそれで終わりだから感想を持つこともないが、あの世があったならば、そこで両親や友達と会い「いい人生だったね」と褒められ、先祖と楽しく暮らすことだろう。そして今この世を生きるときも、きっとご先祖はどんな自分でも応援してくれると思え、力強く生きられると。
 つまりあるか、ないかではなく、あると思って生きた方がいいということです。
 たとえどんな地位になったとしても、人間自分の地位に溺れることなく、恥ずかしくない生き方をする。それにはその根本にあの世があるという意識が必要なのです。         

合 掌

2024年5月1日 - ≪今月の言葉

座について供養の鐘を見上げけり  高浜虚子

    この鐘は鐘供養の梵鐘でしょうが、

    本堂の鐘、鏧子きんすも法要の始めにたたくと

    身も心も引き締まります。

    新緑の季節、締まってゆきましょう。