siteLogo
  • TEL : 03-3441-8971
  • FAX : 03-3441-8702

住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2024年10月1日 - ≪法話

10月のお話

 ホームぺージをご覧いただきましてありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させていただきます。
 暑さ寒さも彼岸までとはよく申したもので、朝夕は涼しくなってきました。夏の疲れと日中との温度差による体調の崩しやすい季節となりますが、どうぞ皆様ご自愛ください。
 さて、私事で恐縮ではございますが、昨年より浄土宗青年会に所属しましてお役を拝命しイベント等の企画運営に携わるようになりました。この10月となりますと、14日のスポーツの日に因んで東京教区浄土宗青年会「チャリティースポーツ・ソフトボール大会」が開催されます。当然、私も参加しますが、このスポーツ大会今更ながら何故大切な日・祝日なのか掘り下げてみたいと思います。
 まず、この日が祝日となったのは、元々は10月10日であったように、この日が1964年の東京オリンピックの開会式であること、そして、戦後の日本が国際社会に復帰する象徴としての意味合いもあり、アジア地域初の開催であるということを含め1966年から祝日となりました。当初は体育の日と名打っていましたが、二度目の東京オリンピックを記念しスポーツの日としてより親しみやすい名に変更したようです。目的は『スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う』ということのようです。
 身体の健康を保つためには自分にあった適度な運動を継続的に行うことが大切です。と言葉ではわかっていますが、怠け癖がある私は「時間がない!忙しい!」などとお恥ずかしい話ですが言い訳をしてしまいます。
 健康を害すると、日々の生活に影響がでますし、やりたいこともできなくなってしまいます。病気にならないようにすることはとても大切なことだと思います。ですが、それだけが健康の目的ではないように思います。それは身体の健康だけではなく、心の健康も大事なことなのではないでしょうか。この世の中、病気にならない人はいませんが、心が健康であれば、たとえ病気になったとしても心の持ちようが変わるのではないでしょうか。
 日本を代表し、世界で最高峰のプロ野球選手の大谷翔平のインタビューで、わくわくするようなレベルの高い試合になればなるほど、高度な技術・体力が要求されるそうです。ですが、最終的な決め手になるのは、体力よりもむしろ精神力ということでした。しっかりした精神力をもつことがとても重要であることを話されていました。これは大谷選手に限らず、私たちにとっても同じことが言えるのではないでしょうか。身体の健康と心の健康の両輪があってこそ本来もつ健康なのです。
 それでは、心の健康を保つにはどうしたら良いのか、それは自分にあった拠り所となるものを持つことだと思います。その拠り所とは、仏の御教えなのです。お釈迦様がお説きになった御教えは日々の生活をより豊かにする為の御教え、言い換えますと心の健康をしっかり保つことに他ならないのです。仏の御教えは数多ありますが、その中でご縁をいただいた念仏の御教えがあります。
 私のような心の弱いものに「つねに念仏してその心をはげませ」と法然上人は説かれました。弱いからこそ、称え続け自身の心をはげます言葉としても「南無阿弥陀仏」を口に出して称えるというお念仏の御教えがあるのだと私は思います。そしてこの念仏の御教えはあらゆる人の心を、称え続けることではげます言葉なのだと思います。困難な出来事に当たった時「だいじょうぶ、だいじょうぶ、なんとかなるさ」という言葉を口に出すことで励ます最上位に、お念仏があるのだと思います。我が名を呼べば必ず極楽浄土に往生させお救いくださる阿弥陀様がおわしますことと改めて私は思いました。
 スポーツの日を契機に今一度、自分の心と身体のことを考え、この両輪をしっかり回し、日々の生活と共にお念仏を称え続け自身をはげましてゆきたいと思います。

合 掌

2024年9月1日 - ≪今月の言葉

秋彼岸袂ひろげて飛ぶ雀  川崎展宏

   落語で使用人が彼岸のことを「ひうがん」となまったので、

   主人が「ひがん」と言えと言い争いになり、領主が

   秋は収穫で忙しいからひがん、春は暢気にひうがんでいい

   決してけんかなどするでないと諭したという。 

2024年9月1日 - ≪法話

9月のお話

 8月の21日から25日の5日間、京都の総本山知恩院で輪番という、朝と昼にお説教をする当番を行ってきました。
 今回私が掲示したお題は「願いに生きるー法然上人鑽仰」というものでした。法然上人鑽仰なんて偉そうですが、私が現在「法然上人鑽仰会」という会の理事長なので、使わせていただきました。 「願いに生きる」の「願生」は、浄土三部経によく出てくる言葉で、まさに仏様の願いを生きることですが、仏様の願いとは、どんな人でも往生できるというものです。このどんな人でもが重要で、お金がある人もない人も、勉強してる人もしていない人も、戒律を守っている人も守っていない人も、善人でも悪人でも、いわゆるどんな人でも往生できるという意味です。
 このことを先に言うと誰でもが、それは逆に不平等だといい、努力してる人もしていない人も同じなんておかしいと言います。だから法然上人は順番を大事にしました。「先ずわが身の程を知り、後に仏の本願を信じなさい」と。最初に自分自身を顧みなさい、自分を見つめた時、法然上人自身が「無智の身」「罪悪生死の凡夫」だと言っています。親鸞聖人も「地獄は一定すみかぞかし」とまで言っていますし、鴨長明も「我れ周利槃特に遠く及ばじ」と、お釈迦様のお弟子で最も愚鈍だった周利槃特にさえかなわないとまで言っています。この自己認識があってこそ、仏の願いがうれしく感じられるものです。そんなお話をさせていただきました。
 先日新聞のコラムで読んだ話ですが、「日本的なもの」とは何だろうということで、お正月やお盆、そしてお彼岸といった行事の中に、日本的な風景が受け継がれていて、それはとても大事なことだと語っていました。そして日本を作り上げた思想、元の文章は何だろうということで、文筆家の執行草舟氏は『日本書紀』にある神武天皇即位の詔をあげていました。その中に「養正」と、「利民」という二つの言葉を取り上げて、これが紀元前六六〇年から七二〇年に編纂された書に書かれていること、民主主義発祥のイギリスの『マグナ・カルタ』より一四〇〇年も前に「正しさを養い、民衆の利益を』という言葉があること、また聖徳太子の『憲法十七条』一条の「和を以て貴しと為す」や、十条の「他人が怒ったならば、自分に過失があると思い、自分が正しいと思っても、多くの人に順じなさい」など、これはただ仲良くしましょうという生易しい思想ではなく、己の幸せや成功を求めて生きるのではなく、むしろ不幸や悲哀を苦悩も受け入れて、遺恨、怨恨でさえも水に流し、相容れない相手とも和する世界史上類を見ない日本的の根源としています。この精神、今の人はご存じだろうか?

合 掌

2024年8月1日 - ≪法話

8月のお話

 ホームページをご覧いただきありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。35度超えが多く、とんでもない酷暑が続いておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。
 先日、私が30年以上続けてきたボーイスカウトのニュースで衝撃を受けました。それは、世界で最大規模のスカウト人数を誇るアメリカのボーイスカウトが、設立115周年を迎える来年二月にボーイスカウト・オブ・アメリカからスカウティング・アメリカに変更すると発表したからです。アメリカでは2010年代から女子を受け入れ始め、昨今の女子会員の増加を受け、団体名を男の子を意味する「ボーイ」を外し、社会の多様性に配慮し、アメリカのスカウト連盟の会長が「誰もが受け入れられていると感じられるようにする為」と発信し、名称変更をおこなうことになりました。
 私がスカウト活動に参加し、若手指導員として活動していた20年ぐらい前には、所属している地域ではすでに男女比は半々ぐらいでした。また、2001年のスカウト運動を統括する団体「世界スカウト機構」への登録名では「Scout Association of Japan」とボーイの文字をなくし、日本では国際的な多様性の観点を踏まえ変更していました。それもあって、高校生の時に日本代表でアメリカのキャンプ場で交流会をした時に、男子しかいなかったことに違和感がありました。
 アメリカのスカウト運動が公にも変更し多様性を受け入れる姿勢を見せ始めたことに関して衝撃を受けましたが、実は未だに日本のスカウト連盟の和名では、「ボーイスカウト日本連盟」と「ボーイ」の文字は残ったままの公益財団法人として登録していることに、より一層衝撃を受けました。このアメリカでの動きを是非日本でも取り組んでほしいと感じます。
どこで生まれ、どのような性で生まれるかを選ぶことができないとしても、自身の成長に女性だからとか男性だからと教育の現場で区別し選択・行動の自由を奪い、多様性を認めないということは、もうこれは区別ではなく「差別」になるのではないでしょうか。決めつけて抑制しレッテルを貼ってしまうということは大いに警戒すべきことなのだと思います。この身近な性に関してでさえも差別を生みかねないのだから、ましてや、マイノリティの方々に対してはより一層の激しい差別をしているのだと思います。
 お釈迦様がお生まれになった、当時のインドでは、六道輪廻が根本にあり、また、カースト制度という身分制度も当然のように社会に組み込まれていました。お釈迦様はこの六道輪廻を超える「解脱」と身分制度であるカースト制度を否定し、生まれながらにしてレッテルを貼ること、言い換えますと差別することを否定し、生まれで決まるのではなく、自身がこれから「なにをするのか」が重要であり、一切の生きとし生けるものは平等であると説かれたのです。
 仏の御教えを学び信じていくものにとって、このことを踏まえ、ほんの些細なことであっても差別をうむ言葉を発していないか、私自身、今一度胸に手を当てて問い続けていかなければならないのだと思います。

合 掌

2024年7月1日 - ≪今月の言葉

盆用意すべてととのひふとむなし  長谷川浪々子

    東京は七月盆です。まだ梅雨が明けない季節ですが、

    新盆を迎える方にとっては、還ってきてくれるお盆も、

    用意をすることに虚しさを感じてしまうことでしょう。

    でも当日は、還ってきてくれることを信じて過ごしましょう。

2024年7月1日 - ≪法話

7月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 今年は梅雨入りが遅く、お盆の時はまだ梅雨のまっただ中になりそうですね。お盆の始まりはそもそも雨安居の終わり、梅雨が明け一緒に暮らしていたお釈迦様のお弟子たちが、共同生活の間に犯した自分自身の罪を懺悔する会で供養することから始まったといわれていますが、七月盆はどうも例年梅雨明け前に行われるようです。
 いま日本で行われているお盆は、その起源話とは異なり、亡き方、ご先祖が一年に一度還ってきてくれるときだと言われています。八月盆だとわかりやすく帰省ということで、日頃は離れている肉親が帰ってきてくれる日ということになり、これもお盆の重要な儀式といわれています。つまりかえれる場所、家族がいることの素晴らしさ、安心感の確認、それがお盆の重要な意味合いです。
 帰れるところというと、室生犀星の有名な詩に「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しく うたふもの」がありますが、室生犀星はふるさとそのものよりも、ふるさとを懐かしむ心が大事だと言いたかったと言われています。また女性に大人気の詩人中原中也は、『帰郷』という詩で「これが私の古里だ さやかに風も吹いている 心置きなく泣かれよと 年増婦(としま)の低い声もする ああおまえは何をして来たのだと 吹き来る風が私に云う」(以下省略)ふるさとのもっているやさしさと厳しさ、それが感じられる詩です。
 作家の重松清さんはふるさととは、一番近くにいる人を一番好きでいられる場所、遠く離れてしまった人に『お帰り』といえる場所、助けを求められたらいつでもどこでも駆け付けられる場所の三つをあげています。これはある映画のフレーズだそうですが、あなたがどんなになろうとも、それを許して受け入れてくれるところ、そして人がふるさとなのでしょう。
 作家の阿部譲二さんが昔刑務所に入ったとき、面会に来た母親に「ごめんなさい」と謝ると、母親に「なに、おまえが刑務所入ったおかげで、普通見れない塀の中まで見ることができた」と言われたとあります。阿部さんはこの言葉で立ちなおる気持ちになったと言っています。もしあの時怒られていたら、また反発して何も変わらなかったでしょうと。
 自分がどんな状態になったときも、見捨てず、認めてくれる存在があったら、人はまた生きる力を持つことができます。それが場所であり、人であり、また見えないご先祖であっても、自分が戻れる場所があること、それが一番大事なことでしょう。そしてそれを確認する時が、お盆の季節といえるでしょう。                             

合 掌