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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2025年1月4日 - ≪今月の言葉

吾が輩は蛇であること歓喜せり  吉田さかえ

三毒の煩悩を捨て去ることは難しい。
蛇と同じく、毒を生かすのも己自身。
無くすことはできなくても、
毒を知り、次へと脱皮したい。

2025年1月1日 - ≪法話

1月のお話

 新年明けましておめでとうございます、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 戒法寺ホームページをご覧いただきありがとうございます。新年のご挨拶は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 年改まり令和七年がスタートしました。歴史ある「戒法寺通信第85号」の新年の冊子編集を初めて担当させて頂きました。編集のプロである長谷川住職と違い、大学時代少しだけ学術書などの編集を手伝う程度のことしかしていませんので、皆様にお見せするにはほとんど素人でございます。不手際が生じることが多いかと思います。皆様のお力・お知恵をお借りしまして、親しみやすく、よりお寺に来たくなるような雰囲気を作っていければと考えております。
 さて、正月と言いますと「書初め」が2日に行われることが一般的です。書道や茶道、三味線などのお稽古ごとは「1月2日から習い始めると上達する」と言われていて、この日を初稽古の日とする習い事は多いようです。また、平安時代の「吉書の奏」は、単純に縁起の良い日を選んで行われていましたが、室町時代の「吉書始め」は、1月2日に大々的に行われていたので、その日にも因んでいます。
 「言は心の声、書は心の画」と中国前漢時代末期の哲学・文学の学者が「書、心画也」から因んで言われているとおり、書は書く人の心の中を見せてくれるのではないでしょうか。
また、いくら書いた字が稚拙であっても、心清らかな人が書いた字は澄んだ線をしているものなのだといわれます。ただ現実には「上手い字」「上手な書」に対するあこがれもあり、心の持ちようとはあまり関係なく「美しい字を書きたい」と思う人が当然たくさんいるかと思います。かくいう私もその一人です。
 日本では、書道は「手習い」または「お稽古」といいますが、日本人独特の文化である「茶道」や「華道」と同様、習うことからはじまって、一歩一歩より高いところ、より深いところへとたどり着く「道」を究めるという伝統があると思います。現代の教育では、個性を尊重しそれに重きを置きすぎているのかもしれません。個性は、「習う」ということがあってこそ生まれてくるものであり、学ぶはまねるから始まるものです。日頃の精進が必要であり、その積み重ねの上に本来持つ個性が生まれでてくるものでしょう。
「美しい字を書く」だけでも大変なことですが、自身の思いを現す為には日々そうとう努力しなければ到達できないのだと思います。僧侶として、筆で書くということは当然なことなのですが、私自身まだまだ皆様にお見せできるレベルではないと痛感しております。
 今年は巳年です。自身の形を次のステップへと成長させることは、まさに蛇が脱皮して成長していくことと同じことだと思います。立ち止まり、右往左往しながらも自身も脱皮していけるよう、成長できるような年にしたいと思います。

南無阿弥陀仏 合 掌

2024年12月1日 - ≪法話

12月のお話

 アメリカの大統領選挙も終わり、トランプ氏が圧勝しました。トランプ氏の勝利が決定したころから、黒人の人のスマホに「明日朝10時に農園に集合しなさい。その際身体検査もあります」というメールが飛び交ったそうです。どうもトランプ陣営からの行動だそうで、黒人を奴隷としていた時代を彷彿させるものだそうです。今回の選挙でわかったことは黒人男性は民族差別よりも女性差別の方が強いということがはっきりしましたが、トランプ氏は勝ったとたんにその本性をあらわに、自身の人種差別を明確化したのでしょう。
 それにしても人権問題に携わっていて一番厄介なものが、この男性の女性差別です。これほど根強く、潜在意識に定着している差別は他にありません。普段は顔を出さなくても、いざ権力を持つとなるとはっきりと出てくるのでしょう。ガラスの天井とはよく言ったものです。又お酒が入ったりしても、ちょくちょく顔を出すこともあり、まことに困ったものです。人類史上最も古く最も深い差別です。
 私たちの浄土教で所依の経典としている『仏説無量寿経』には、女性を救いたいの一心から、阿弥陀仏の誓願の第35願に「女人往生の願」があります。阿弥陀仏は第18願で、すべての人を救うとしていますが、極楽が男性だけの世界ということで、あえて第35願で女人は男性に生まれ変わって往生するとしています。 先日も女性と論議になってしまったのですが、「これは差別以外の何物でもない」と言われました。私は2,100年以上昔のインドで、女性が全く救いの対象から外されていた時代背景の中で書かれたものであること、また極楽に男性しかいなければもはや男とか女性の区別はなく、どっちになっても一緒だということなど、阿弥陀仏の女性を救いたいという願いをなぜ理解できないのかと論争になってしまいました。
 かなり前、DVの被害者救済のNGOの方の講演で、「男性はすべて加害者であることを自覚して話を聞きなさい」と言われ、どっきりしたことを今でも思い出しますが、確かに男性同士の話では、身内の女性だとつい下に見る言い方をしてしまい、その場の女性を傷つけることがあります。男性同士では冗談で済んでも、女性にとってはそれでは済まないことを、よくよく考えないといけないようです。でもこれは昭和の人間の話で、若い方々には何を言っているのかと、男性にも怒られそうです。
 経典も言葉であり、その理解は確かに難しいのですが、言葉だけにとらわれず、何が言いたいのか、どこが神髄なのかを探りながら、読んでいただきたいと思いました。

合 掌

2024年12月1日 - ≪今月の言葉

仏の手握りて煤を払ひけり  木内彰志

    今年も師走を迎え、一年が終わろうとしている。

    私も古稀を迎え、そろそろ遊行期かと考え始める。

    師走のあわただしさの中でも、どこかで1日は、

    今年を思い返し、反省する日を作りたい。

2024年11月1日 - ≪法話

11月のお話

 最近トクリュウ(匿名・流動型犯罪)なるもの、いわゆるSNSを使い、闇バイトで募集した人間が犯す強盗事件が関東で多発しています。実行犯となった人は、皆自分の個人情報を握られ「断れなかった」と言っていますが、いざ逮捕され、その罪の重さを知ってさぞや驚愕していることでしょう。なぜ言われるままに、あそこまでの凶悪行為ができるのか、全くわかりません。
 ただ先日の裁判で、無期懲役刑が出た被告人が、「裁判員裁判なのだから最高刑『死刑』を求めた」との記事を読み驚きました。法律に詳しい方がネットで、「刑法28条に無期懲役でも10年以上経過すれば仮釈放できますとある」などの書き込みをし、TVのワイドショーのコメンテイターが、「日本の無期懲役は10年で刑務所から出られる」と言うと、その場にいる人が、「無期じゃだめだ、死刑一択だ」などという風潮がおこります。これはかなり怖いことです。
 少し古い話ですが、平成4年の無期懲役の受刑者数は、1688人でその中で10年で仮釈放された人は6人です。最近でも1%未満といいます。仮釈放が決まるまでの平均は45年3か月と言われています。先日58年ぶりに無罪となったあの袴田さんも仮釈放までは48年かかっています。一方刑務所で亡くなる人は41名でした。ですから無期懲役は10年で出てくるなんて話は眉唾ものといえます。ただでさえ冤罪の多いこの国で、死刑制度は恐ろしい制度です。私は死刑制度にはもともと反対です。なぜなら死刑にしてしまったら、その人は極楽に行ってしまうからです。この世で罪は償い、反省ができないうちは死刑にすべきではありません。
 お釈迦様の時代99人、人を殺し続けている殺人鬼がいました。彼は99人の小指を切り首飾りにしていたので、アングリマーラと言われていました。彼は100人の小指で首飾りを作れと師匠に言われていたからです。そして100人目、お釈迦様は彼と出会い、彼を説得し出家させ、弟子にしました。翌日警察がお釈迦様のところに来た時、お釈迦様は「もうここには殺人鬼はいません」と突っぱね、彼を渡しませんでした。しかしお釈迦様は毎日彼に托鉢をさせ、その都度彼は民衆から石を投げられ血だらけで帰ってきました。お釈迦様は「この世でしたことはこの世で精算しろ」と言い、何日も何も食べられない彼を見守り続けました。
 「更生」という言葉があります。一字にすると「甦る」です。生き返るとか、生まれ変わるという意味です。よく「更正」と間違える人がいます。「更生」は正しくさせることではなく、さらに生きてもらうことです。落ち着いて考えたいことです。

合 掌

2024年11月1日 - ≪今月の言葉

空也忌の魚版の月ぞまどかなる  飯田蛇笏

    比叡山の僧侶の帰属化に嫌気がさして市井の僧となった空也

    念仏僧として諸国を遍歴し、満月の美しさに魅了された空也

    最後はみちのくの地で、十三夜に念仏することを夢見た姿は

    京の六波羅蜜寺にしっかり刻まれている。