siteLogo
  • TEL : 03-3441-8971
  • FAX : 03-3441-8702

住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2023年4月1日 - ≪今月の言葉

花御堂 花重なりて 匂ひけり   及川貞

  新型コロナも収束しつつ、規制が緩和された。

 今年こそ、春の匂いを感じながら、

 各地の寺を転々と、

 甘茶そそぎかけ、感謝いたします。

2023年4月1日 - ≪法話

4月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 先月の当山開山400年記念大法要並びに春彼岸中日法要が盛大かつ厳粛にお勤めができましたことを大変感謝申し上げます。例年よりも早く咲いた桜もお祝いしてくれているのかと思えるように、見事に咲き誇り、また、雨天の予報ではありましたが、雨も降らず迎えることができ、とてもありがたい日となりました。120名の参加がございましたこと、また、本大法要に向けての準備や当日も含めご協力くださいました皆々様に今一度深く感謝申し上げます。
 この四月は仏教徒にとって大切な日がございます。それは、お釈迦さまのお生まれになった四月八日にその誕生を祝う行事「灌仏会」(または花まつり・降誕会など)が執り行われるからです。お釈迦さまが誕生なされたとき、世界は光り輝き、天からは甘露の雨がふりそそぎ、とその誕生を祝ったことに由来し、誕生仏に甘茶をかけてお祝いをする風習が今では定着しています。全国各地の寺院で色鮮やかな花々に囲まれた御堂、花御堂に誕生仏が安置されます。お寺ごとに花の飾り方や誕生仏のお姿が違いますので数ヶ寺回ってみると楽しいかもしれません。もちろん、当山でも花御堂と甘茶をご用意しますが、近隣のお寺でも飾っておりますのでどうぞお越し頂ければと思います。
 お釈迦様のみ教えは実に多くありますが、その中でも一貫して説かれているみ教えとして、すべてがお互いに関連し合って存在しているということが説かれているのです。それは、今の私が存在するためには、量り知れない程の関連。言い換えますと繋がりがあるということなのです。私が生まれる為には、父と母が存在し、またその父と母にも父と母がいて……と、実に多くのいのちの営みである繋がりがあります。そして、そのいのちの営みには、さらに太陽、水、空気や大地との繋がりがありまして、そしてわたしが存在するためにはたくさんのいのちをいただいて今日に至るのです。
 このようなみ教えは、色あせることなく時代や場所を超えて今現在の私であってもその繋がりは続いてゆくということなのです。
 それなのに、私は一人で生きていると勝手に思い込み、自分中心の生活をしてしまいます。この「自分だけ」と思ってしまう考え方や行動を目覚めさせていただく道は、この繋がりを「ありがとうございます」という思いを常に感じ感謝し受け入れて行動していくことなのだと思います。ですが、ついつい独りよがりなってしまう自分がいます。その時は「南無阿弥陀仏」と称えながら「ごめんなさい」と反省し、また、気づかせていただいたことに感謝しながらお念仏をお称えしたいと思います。
 誕生の偈「天上天下唯我独尊」とは、比較することではなく、私も尊いということはあなたも尊いということ、つまり、すべては繋がりがあって、それぞれがそれぞれのままに尊いということなのです。
 その繋がりを説かれたお釈迦様を拝観しつつ、すべてを包み込む阿弥陀さまのおちからを感じながら誕生仏に甘茶をそそぎかけたいと思います。
 南無阿弥陀仏

合 掌

2023年3月1日 - ≪今月の言葉

ひと息ひと息彼岸桜の開きゆく   中嶋秀子

  今年は桜の開花が早いという

 温暖化で桜は入学式からすっかり卒業式の花に替わった。

 そして今年は、お彼岸中に咲き始めるという。

 散る時ではなく、開く姿に注目したい。

2023年3月1日 - ≪法話

3月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 烏兎匆々とはいうものの、もう三月を迎えてしまいました。時間の経過が早く感じられるのは、歳をとった証拠でしょう。
 今月はお彼岸の月です。この「彼岸」という言葉、仏教の教えの基本とも言えます。そもそも佛教は私たちのいるこちら側「此岸」から、悟りの世界「彼岸」を目指す教えです。「此岸から彼岸」という言い回しは、東京の人間には不向きです。江戸弁はこの「シ」と「ヒ」の区別ができません。そこでインドの言葉にして「サハーからパーラム」と言いたくなります。このサハーを中国の人は娑婆と音写し忍土と訳し、パーラムを波羅蜜と音写し悟りの世界としました。波羅蜜多は、パーラムイターで、悟りの世界に行くと言う意味です。有名な般若心経は、正式には摩詞般若波羅蜜多心経となり、意味としてはお悟りの世界に行くための偉大な智慧の中心となるお経となります。私たちのいる世界は忍土で、苦しみを耐え忍ぶ世界ということです。だからお悟りの世界に行かなければ安らぎは得られないというのが佛教です。
 『観無量壽経』というお経があります。浄土宗が大事にしている三つの経典のひとつです。このお経はお釈迦様在世の時代にインドのマカダ国でおきた王家の悲劇の物語が題材です。王子に恵まれなかったビンビサーラ王とイダイケ夫人が占い師に尋ねると、今修行中の行者が三年後死んで生まれ変わると王子が誕生するという。王夫婦はその三年が待てず、行者を殺して王子を誕生させるが、占い師はこの王子は成人になった時王を殺すと予告する。王夫婦は怖くなり生まれたばかりの子を鉄塔から投げ捨てるが、指をけがするだけで助かり、育てることとなった。成人になったアジャセはお釈迦様の弟子ダイバダッタに自分の生い立ちを聞き、即座に王を幽閉する。夫人は毎日自らの身体に蜜を塗り王に与えていると、アジャセは母をも幽閉してしまう。大臣は父殺しの王子はいても母殺しの王子はいないと説得し、母の幽閉は解かれる。そして母の言葉を聞き、父も許す気持ちになったアジャセは、使いを父の元に送るが、父はその足音を聞き、いよいよ殺しに来たと勘違いし、子供に父殺しはさせたくないと自ら命を絶ってしまう。母イダイケは悲しみの中で釈尊を呼び説法を願い、その時説かれたのがこの『観無量壽経』です。誰もが罪を犯し、誰もが悲しみの世界に沈淪してしまう現実のこの世では、阿弥陀仏に救いを求めることでしか生きる力を得られないことを説いています。そして後生では必ず安らかなお浄土に生まれ、みんなと楽しく過ごすことが説かれています。悲しみの先に光が見えることは、大きな力となるのです。

合 掌

2023年2月1日 - ≪法話

2月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。日本海側では大雪が降り、普段あまり積もらない地域でも雪に悩まされた一月末となり、暦通りの厳しい寒さとなりました。まだまだ寒さが続く日々となりそうです。燃料費・電気代等高騰しておりますが、お身体を第一に考えどうぞご自愛くださいませ。
 この二月は仏教徒にとっては大切な日がございます。お釈迦さまお誕生の四月八日の「灌仏会」(または花まつり・降誕会など)、おさとりを開かれた十二月八日の「成道会」、80年の生涯をとじられた二月十五日の「涅槃会」、この三つの法会を三大法会とし全国各地の寺院で修せられます。
 この涅槃とは、「さとり」と同じ意味をもっている言葉で、サンスクリット語の「ニルヴァーナ」を語源とし、迷いの火を吹き消した状態であり、輪廻から離れたことを指します。迷いの根源である肉体から煩悩の火が吹き消されたということです。苦の根源である煩悩が心身ともに「滅」の状態に入ったことから入滅とも呼ばれます。
 当寺でも、涅槃図を掲げ、二本の沙羅の木の間でお釈迦様が最後に頭を北に西を向いて横たわられて、沢山のお弟子さんに見送られて亡くなっているお姿の絵図をみることができます。
お釈迦さまの遺言ともいえる有名な教えがあります。

私がなきあとは、今まで教えてきた法を灯明とし、自らを灯明とせよ

という教訓でした。お釈迦さまの教え(法)が私自身の支えとなる明かりであるといこと、また、私自身の人生の営みのなかで培ってきた自分自身を拠り処にせよと、そして

この世のことはすべてうつろい、永遠なるものは一つとしてない。怠ることなく一生懸命につとめよ

という言葉をお釈迦さまは最後に残されました。私たちすべては、常に移り変わるからこそ一つ一つが尊く、大切な経験となり、自身を信じ正しく歩みなさいとおっしゃっているのだと思います。そしてその思いをつなげていくことが、お釈迦さまの教えが私たちの心の中に生き続けるということなのではないでしょうか。
 自身を振り返ってみますと、先月初めに不注意から右手中指を負傷し、皆様に助けられて生活してまいりました。傷による痛みと、できないことのもどかしさを感じながら過ごしてきましたが、その時々にいろいろな方々のやさしさに触れ、支えられてきたことを忘れずに、傷が癒えて普段の生活に戻ったとしても、このやさしさを次につなげてゆきたいと思います。あるものが変化し移り変わるからこそ得られる思いであり、その変化から生まれた思いを信じ、仏の教えとともにあせらず一歩一歩着実に歩んでゆきたいと思います。

合 掌

2023年2月1日 - ≪今月の言葉

南無阿弥陀仏 生死輪廻の根を断たば
  身をも命も 惜しむべきかは  徳本行者

これは徳本行者の辞世の句で、
江戸末期の高僧で昼夜を問わず念仏に打ち込む念仏行者。
関東や東海、北陸にも足を運び「生き仏」と称されました。
戒法寺にも仏足石とともにその「御名号」石碑がございます。
来寺の際にはどうぞお参りください。