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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2022年7月1日 - ≪法話

7月のお話

 気象観測史上最も短い梅雨が終わり、とてつもない酷暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
 今月から隔月で岱忠君に書いて貰うことになっていましたが、6月の初旬コロナ陽性になってしまい、10日間の隔離生活の後、強い後遺症におそわれてしまい、のどの痛みと倦怠感で1ヶ月の安静を医者から言われてしまいました。そんなことで期待されていた読者諸兄には申し訳ありませんが、今月も住職が担当いたします。来月は書いて頂き、岱忠君には偶数月担当と変更いたします。
 6月27日の朝日新聞の文化面に「日本は世界で何位」という企画があり、今回は「世界人助け指数」で何位かが出ていました。これは英国の慈善機関の調査で、過去一ヶ月の間に「見知らぬ人を助けたか」、「寄付をしたか」「ボランティアをしたか」などを聞き取りで調査したもので、1位はインドネシア、2位はケニア、3位はナイジェリアでした。さて日本は何位かというと、調査した114カ国中114位、つまり最下位でした。この結果に唖然としてしまいました。私のような世代の人間からすると、信じられない結果でした。そういえばある雑誌に今の日本人の信条を「カネだけ、今だけ、自分だけ」と書かれていたことを思い出し、まさに餓鬼道だなという思いをしたことを思い出しました。
 仏教では六道輪廻を、後生(死後の世界)としてとらえるのではなく、今の状態を表現するものとしてとらえます。ある武道家が弟子が毎日神社の鳥居に立ちションをしても、罰が当たらないと豪語している姿を見て、武士たるお前が立ちションをすること事態、すでに畜生道に落ちているという罰が当たっていると言った言葉からもうかがえます。
 私たちは日頃から注意をしておかないと戦うことが正しいかのごとく思う修羅道や、愚かさがわからない畜生道、貪りの止まらない餓鬼道、怒りが収まらない地獄道の心になってしまうと説くのが仏教です。私の寺でも毎年7月の第一土曜に「新盆施餓鬼会」を勤めます。この餓鬼に施すという法会は、餓鬼道に墜ちている先祖を救済するというのではなく、私たちの心に巣くう餓鬼を意識して、私たちが求める心をとどめて与える心に転化することを、実践を通して行うことで、お浄土のご先祖が安心して過ごして貰うことを目的にしています。なぜなら私たちのご先祖は誰一人餓鬼道などには墜ちていません。皆さん阿弥陀様の国、お浄土にいるのですから安心して下さい。けっして巷に出ている解説書など参考にしないようにして下さい。

合 掌

2022年7月1日 - ≪今月の言葉

大魚板雲を呑まんと半夏生  茂 恵一郎

 大寺院にはよく廊下に魚板がかかっている。

昔はこの魚板をたたいて時間を知らせたという

木魚、魚板の魚は、私たちの怠惰を諫める意味だという

魚は本当に寝ないのだろうか。

2022年6月1日 - ≪法話

6月のお話

 毎日のように変わる気温の変動に、ついてゆかない方も多いかと思います。早いもので今年ももう6月、夏の衣を出しながら、6月1日に衣替えをするのは、今や学生と僧侶くらいかなあとぼやいたりしています。
 この原稿も来月からは隔月で、弟子の岱忠に書いて貰うことにしました。私が住職になって今年で37年になります。住職になった時は私も30歳でした。岱忠ももう39歳なので、自分の言葉を発する場所があるべきだと思いました。そこで今年は奇数月の原稿をお願いしています。楽しみにして下さい。
 6月10日は恵心僧都源信和尚の命日です。源信和尚といってもご存じの方は少ないと思いますが、中国では「日本小釈迦源信如来」と言われるほどの方です。『往生要集』を著し、日本浄土教の基礎を作られた方で、その主旨は「欣求浄土 厭離穢土」とし、「往生の業は念仏を本とする」と主張されました。実は私の僧名「心蓮社源阿恵譽」はこの方のお名前から拝借したものです。学生時代に『往生要集』を読んで感激して、つけてしまいましたが、今では恐れ多いことをしたものだと反省しています。
 この源信和尚の「往生のためには念仏が基本だよ」とする教えは、まさに浄土教の基本理念となります。法然上人もその主著『選択本願念仏集』の冒頭に直筆でご名号の下にこの言葉を書いていますが、ただ、法然上人は「念仏を本とする」ではなく、「念仏を先とする」に書き換えています。「本」と「先」ではどう違うかと言えば、「本」は教えですが、「先」は行動になるのではないかと思っています。 法然上人は遺言である『一枚起請文』でも、「智者のふるまいをせず、ただ一向に念仏せよ」と頭でっかちになるなと諫めています。 今放映中のNHKテレビの大河ドラマ「鎌倉殿と13人」で描かれていますように、法然上人が生きた時代は戦乱に明け暮れ、地震、大火事など災害も多く、世の中が混乱していた時代です。そんな時代の中で法然上人は理念ではなく、行動を重視し、目の前の人をとにかく救いたいの一心から、「とりあえず称えよ」と言いたかったのではないでしょうか。この世が地獄でしかない、来世にしか救いの道がなかった人々に対しての心が現れている言葉が、「往生するためには、念仏を先ず称えなさい」だったのではないかと思います。
 今の日本も鎌倉時代ほどではないにしろ、感染病、戦争、大地震と、恐怖がないと言ったら嘘になるでしょう。そんな中で心を平常に保ち、間違った判断をしないことが大切です。何でも闘うことばかり考えていると、心もすさんできます。あくせく、がつがつ、イライラで生きるのではなく、のんびり、ゆったり、ほどほどに生きるためにお念仏をお称えしましょう。

合 掌

2022年6月1日 - ≪今月の言葉

雨安居の雨をもらひて咲けるもの  後藤比奈夫

 梅雨の前にもう夏が来てしまったような日々
マスクを取って良いやら、悪いやら
空気を読むより、理性でとはいうものの
やはり自分一人では取れないものです。

2022年5月1日 - ≪今月の言葉

たまたまに三日月拝む五月かな  去 来

 五月には満月よりも三日月が似合う気がする。
若葉まぶしいこの季節、きみどりの色が目にしみる。
ウクライナの戦争は出口が見えなくなっている。
とにかく戦いが終わること、ただそれだけを祈る。

2022年5月1日 - ≪法話

5月のお話

 今の日本は世間の雰囲気がおかしくなっています。東大で反戦を訴えた講師が、学校側やネットで批難の対象になったり、ロシアや中国のことを少しでも認めるような言動をすると、大変なことになってしまいます。ロシアの侵略を肯定する気は全くないのですが、かといってウクライナの流すニュースをそのまま信じることも、戦時中の日本と一緒で、正しいとは思いません。戦争に良い戦争などあるわけがありませんから、一方の情報だけを信じ、武器の給与をするナトー、とりわけアメリカを誰も問題視しないことに、疑問を感じるのはおかしいのでしょうか。
 とにかく戦いを終わらせること、武力を用いない問題解決、それが憲法九条を持つ日本の説くべき姿勢だと思うですが・・・。
 こんなことを言えば、それは理想論だと笑われてしまうでしょう。しかし問題解決に当たる心の持ちようを、西洋では子どもの純真無垢な心を理想としました。キリスト教では「幼な子のようにあれ」と言いました。しかし仏教では子どもの純真さは時に残酷さもあることから、邪念を克服した無心を理想としています。無心はうつろな心ではありません、こだわりのない心です。鈴木大拙師はこんな話を紹介しています。
 きこりが山で木を刈っているときに、サトリという動物と遭遇しました。とても珍しい動物なので、きこりは捕らえてやろうと考えました。「お前は俺を捕まえようと思っているな」サトリは人間の心を読むことができるのです。ぎょっとしたきこりにサトリは続けて「お前は言い当てられてびっくりしているな」、そして「今度は俺を殺す気だな」、少し時間をおき「おやもう捕まえることも諦めたか」。その言われたのち、きこりは本当にサトリのことを忘れてしまいました。そしてただ木を刈っていた。その時、きこりの打ち下ろした斧の先が取れ、飛んでいってしまったのです。そしてその斧の先がサトリに命中してしまいました。サトリは人の心は読めても、無心は読めなかったのです。そんなお話です。
 私たちは良い仕事をしよう、人から褒められようと、あれこれ考えています。そんなこだわりがあるとなかなか良い仕事ができないでいます。良い仕事はこだわりがなくなったときにあんがいできるものです。無心とは、こだわりのないあっけらかんとした心だというのです。
 さて、無心で問題解決に当たるとはどういうことでしょうか。それは心の中の理想論をしっかり持ちながら、問題解決に当たることを指すことのように思います。今政治家が守らなくてはならないものは、領土保全でも政権維持でもなく、国民の命です。つまり戦いが終わること、それ以外ないと思うのですが。

合 掌