住職の言葉
「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤
住職の言葉 - 一覧
2024年3月1日 - ≪法話≫
3月のお話
戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
三寒四温という言葉が、何か恐ろしさを感じさせる今日この頃、あまりにめまぐるしい気温の変化についてゆけず、戸惑う毎日を感じている方も多いことと思います。
さて、気がついたらもう3月、おひな様を出すのを忘れていた方も多いのではないでしょうか。この雛祭り、歴史を見ると意外と新しいことに驚きます。どうも今の形になったのは江戸時代の寛文年間(1661~1672年)頃のことのようで、それまでは雛流しだったようです。つまり私たちの罪や穢れを人形などにたくして川に流す行事だったようです。何でも悪いことは水に流すとよかったようです。西洋では罪を雄の羊に背負ってもらって荒野に放すという、いわゆるスケープゴートが行われていましたが、日本では浄化作用は川にあったようで、川は流す意味と同時にこちらの岸から向こうの岸に渡る事も大きな意味を持っていて、向こう岸は理想の世界を意味していました。
仏教ではこちらの岸を此岸、向こうの岸を彼岸と喚び、此岸を私たちのいるところこの世とし、インドの言葉ではサハー(娑婆)、意味としては「忍土」、彼岸を理想の世界、安楽なるところとしてインドの言葉でパーラム(波羅蜜)悟りの世界としました。この此岸から彼岸に渡る教え、方法が仏教です。
それには様々な教えがありますが、すべて方法論としては三つになります。つまり教え、智恵を学ぶこと、心を統一する禅定、そして生活の規範、戒律を守ることです。宗派などでこの三つにそれぞれ違いはありますが、この三つは仏教徒は否定することはできませんでした。否定すれば仏教徒でなくなってしまいます。しかし法然上人という方は、自分自身を見つめると同時に、多くの人々のことを考えました、そして言ったのです。「私にはこの三つを成し遂げることはできない」と、これはすごい言葉です。まるでアンデルセンの童話『裸の大様』の少年の言葉「王様は裸だ」に通じる言葉です。法然上人はすべての人が救われなければ、仏教の基本に反することと思いました。そして仏教をもう一度洗い直し、学びなおした結果、善導大師の次の言葉に出会います。「一心に阿弥陀様のお名前を唱えなさい、そうすれば阿弥陀様が救ってくれる、それが阿弥陀仏の願に順じている行為だから」です。
この念仏一筋に心が定まった年を1175年とし、そこから数えて今年が850年になります。自分が一人が悟りを開くことを目指すのではなく、周りの多くの人々と共に安楽な日々を目指す教え、それが法然上人が目指した仏教です。
合 掌
2024年2月1日 - ≪今月の言葉≫
涅槃図を かけたる寺の 閏年 萩原麦草
お釈迦様の御教えを
聞くことができる素晴らしさ
この世に生まれて
ただただ、ありがたい
2024年2月1日 - ≪法話≫
2月のお話
ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
まず初めに、このたびの「令和六年能登半島地震」により、大切なご家族を亡くされ、また住まいや故郷に甚大な被害を受けられました多くの方々に心からお見舞い申し上げます。
いまだ、被災地では余震が続いており、多くの方が不安な時を過ごされていることと存じます。一日も早い復旧・復興と皆様が平穏な日々を取り戻せるよう衷心よりお祈り申し上げます。
また、2月11日は、様々な議論がなされる日本の建国記念日ですが、歴史を振り返ってみますと、我が国もたくさんの苦難、悲しい出来事がありました。過去を振り返ってみましても、大災害に見舞われたことも多くありました。今、豊かさのなかで生きてきた私たちは、まさに転換期をむかえているように思います。
だからこそ、人と人が手を取り合って、支え合って生きていくことの尊さを、「苦しみ」や「悲しみ」から学び次の一歩へと結び付けていけるようになりたいと思います。
そして、どんなに文明が発達したとしても、人知を超えた惨劇は起こるのかもしれません、ですが、この苦しみや悲しみを踏みしめ、乗り越えて、より一層こころが豊かになるのだと思います。また、今を生きる人たちやこれから生きる人たちは、先にお浄土に往かれた人たちを決して忘れずに弔い、敬い、限りあるいのちの大切さを伝え、この思いを繋ぐ担い手として生きていくのだと思います。
そのように気づかせてくれる数多くの御言葉の一つに
ここに我ら、いかなる宿縁にこたえ、いかなる善行によりてか、仏法流布の時に、
生まれて、生死解脱のみちを、聞くことを得たる
と法然上人が述べられました。いまこの苦しい、悲しい時であっても、お念仏の御教えを聞くことができるという一説です。今月15日はお釈迦様が亡くなられた涅槃の日です。
この涅槃の時期に合わせて涅槃図を公開するお寺もあります。この涅槃図では多くの人と、動物、そして昆虫や架空の鳥にいたるまで、多くのものたちが嘆き悲しみ、うちひしがれている姿が描かれています。今回注目したいのは、その涅槃図に描かれている、お釈迦様の足もとでうずくまるお婆さんについてです。このお婆さんはお釈迦様の時代に生まれ、同じ国に生きながらもお釈迦様にお会いできず、仏法を聞くことが叶わなかった方です。それに比べ私たちは、国も違い、時代も違いますが仏教の「お念仏の御教え」を聞くことのできる時代に生まれることができたのです。このことのありがたさを感ぜられずにはいられません。
まさに、この法然上人の御言葉が胸に響き「南無阿弥陀仏」と称えて皆様と一緒に歩んでいきたいと思います。そして、悲しいこと、つらいことを拭い去ることは難しいのかもしれませんが、次につながる一歩として称え続けていきます。
合 掌
2024年1月1日 - ≪法話≫
1月のお話
戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
新年明けましておめでとうございます、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は辰年です。干支の動物は龍、龍は十二支の中で唯一架空の動物です。龍は変幻自在の能力を有し、天空と地上を結びます。海の彼方の竜宮から舞い上がり、災難を除き福を招く仏教の守護神です。
寺院の天井に龍の絵を描く絵師に聞いた話ですが、龍は九つの動物の集合体で、角は鹿、頭のこぶはラクダ、眼はウサギ、耳は牛、身体は蛇、腕は虎、爪は鷹、鱗は鯉、尻尾はワニでできているそうです。それぞれがそれぞれの個性を邪魔することなく、仲良く共存させたとき、龍のエネルギーになるということです。
また絵師の方はこんなことも話されていました。その名前の音は「リュウ」つまり流れで物事を捉えましょうというメッセージだそうです。瞬間、瞬間の部分で物事を見るのではなく、時間の経過も含め全体で物事を見てゆきましょうということだそうです。「人生は部分で見たら悲劇だが、全体で見たら喜劇である」というのはあの喜劇王チャールズ・チャップリンの言葉だそうですが、確かにその場その場で立ち止まり判断するよりも、流れを見て全体で判断することが、人生を楽にしてくれそうです。
以前ひろさちや師がフランスのモラリスト、ラ・ロシュフーコーのこんな言葉を紹介してくれました。「あまりにも性急に恩返しをしようとするのは、一種の忘恩行為である」。我々はいろいろな方からお世話になり、早く恩返しをしなければと思いがちですが、それはかえって忘恩になるというのです。「恩」という言葉の古代インド語の語源は、「クリタ・ジュニャター」ですが、その直訳は「なされたことを知る」です。つまり「知恩」ということです。相手の人が私に何をしてくれたか、それがどれだけありがたいことなのかを知って忘れないでいること、それが「知恩」です。親の恩というのも、親が私に何をしてくれたか、それを知ることが一番大事なことということです。
今年は「浄土宗開宗850年」の年です。京都の総本山の名称が「知恩院」であるように、私たちは今年改めて宗祖法然上人の遺徳を偲び、その教えをしっかりと学び、法然上人が説かれた「お念仏」を実践してゆくこと、それが法然上人への恩を知ることになると思います。法然上人はとにかく「お念仏を唱えよ」とおっしゃっています。理屈や理論は必要ありません。毎日お念仏を唱えてゆきましょう。
合 掌
2024年1月1日 - ≪今月の言葉≫
元朝に十念仏のゆききかな 一茶
元旦の朝は、家族で修正会をつとめます。
今年一年、何事もなく過ぎてゆくことを
唯々、願うばかりです。
それが最も幸せなことですから。
2023年12月1日 - ≪今月の言葉≫
除夜の鐘 この時見たる 星の数 原石鼎
除夜の鐘の響き、
ふと夜空を見上げると、
満点の星空が
すこし心が清らかになるのでしょうか。