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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2023年12月1日 - ≪今月の言葉

除夜の鐘 この時見たる 星の数  原石鼎

除夜の鐘の響き、

ふと夜空を見上げると、

満点の星空が

すこし心が清らかになるのでしょうか。

2023年12月1日 - ≪法話

12月のお話

 ホームページをご覧いただきありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させていただきます。
 今年も残すところもあとわずかとなりました。先月の23日勤労感謝の日では、季節外れの高い気温となり、半袖で過ごせるほどの暑さとなりました。11月下旬としては記録的な暖かさでした。秋から冬にかけて段々と寒さが深まっていく日本の四季が、急に寒くなったり、暑くなったりと、寒さや暑さに徐々に慣れていくという身体の準備がし難くなってきているように感じます。
 身体の準備がし難い昨今ではりますが、新年に向けての心の準備はしていきたいと思います。この一年をふりかえってみますと、「大変助かったなぁ」や「ありがたかったなぁ」と、こころからの感謝の気持ちもありましたが、むしろ、「こうすればよかった」「ああすればよかった」や「もうしわけなかったなぁ」という反省の思いも多くあります。私自身振り返ってみますと、時間の大切さを忘れ、睡眠さえ削ればなんとかなるだろうと思い、体調管理ができず多くの方に迷惑をかけてしまったことが何度かありました。睡眠は身体の疲労回復はもちろんのこと、免疫力の向上や様々な効能があるのにも関わらず。やりたいこと、やるべきことをしっかりと選択し、時間を有効に使っていくことが大事とわかっているにもかかわらず、中々できませんでした。結局無理をして周りの方に迷惑をかけてしまったのですが、フォローをして頂いた方々には感謝と申し訳なさが残りました。このように日々の一つ一つを挙げるときりがない程の、感謝とお詫びの心が溢れてまいります。
 さて、師走の由来は仏教が日本に伝来した頃に、毎年年末に「三千仏名会」を奉修し、一年間の罪障を滅する懺悔の法要を営んだのが始まりとされていますが、この仏名会に参拝できなかった方々がさらに、31日の夜に、各寺で鳴らす鐘の音とともに、こころを静め、清らかなおもいで迎えるのが除夜の鐘となります。この除夜の鐘は、一年の罪、咎、垢を洗い清めたまえと、念仏、懺悔のうちに阿弥陀様の慈光をいただき、清い心で新しい一年をお迎えします。したがって、除夜とは、私たちが一年間造ってきたところの煩悩罪障の垢を除いて、身も心も清らかになることを指し示します。
 こう考えますと除夜の鐘も、単なる大晦日の行事ではなく、仏さまの御教えと共に生きるという尊い行事なのだと、ありがたく感じます。
 また、法然上人のお言葉に
人の心ざまは、いたく目慣れ耳慣れぬれば、いらいらと進む心少なく、明け暮れはそうそうとして、心閑かならぬようにてのみ、疎略になりゆくなり。
その心を進めんがためには、時々別時の念仏を修すべきなり。
 人の心というものは、だんだんと慣れてゆき心忙しいままに励む心が怠ってしまうからこそ、特別に時を決め場所を決めて、念仏を修めましょうと説かれ、やさしく私たちに檄を飛ばされています。
いち年の終わりも、ひと月の終わりも、いち日の終わりも、懺悔と感謝をもち日々お念仏とともに生き、年末の鐘の音や仏名会、別時念仏を通して、より一層念仏を続けていく力になってゆくのだと感じています。もっともっとお念仏に励みたいと思います。

合 掌

2023年11月1日 - ≪法話

11月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 最近のパレスチナ自治区ガザの状況に心が傷んでいます。20年以上前、アーユスの創始者茂田真澄氏や大河内秀人氏らがパレスチナの両自治区を訪れたとき、帰国時にテルアビブの空港でカメラのフイルムをすべて没収されたことを思い出しました。
 国連の事務総長の言葉通り、長い長い両者の争いは根深いものがあることは事実ですが、オセロ合意の元、自治区は守られなければならないものです。今回イスラエル側に1400人の死者が出たことで、ガザの230万人をせん滅するかのごとくイスラエルの行動は、とても人間の所業とは思えません。
 我が国最初の成文法である『憲法17条』の第10条は次のようにあります。「他人が自分と違っているのを怒ってはならない。人はすべて心を持っており、その心がとらわれるのはまちまちである。彼が是とするものを自分は非とし、自分が是とするものを彼が非とすることがある。自分が必ずしも聖人ではないし、彼が必ずしも愚かではない。ともにこれ凡夫である。是と非を一体誰が定められようか。リングに端がないように、賢と愚は定められない。だから他人が怒ったならば、自分に過失があるのだと思い、自分が正しいと思っても、多くの人に順じなさい。」(ひろさちや師訳)
 この今から1419年も前に制定された条文をイスラエル政府及びハマス双方に見てもらいたいと思います。そしてくどくなりますが釈尊の金言「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である。」『法句経』第八(中村元訳)を確認しておきたいと思います。
 ひろさちや師が講話の中でよくおっしゃっていた『カルニアデスの船板』という命題があります。ギリシャ哲学の命題で、「大海原で難破した船の乗員が、一人しかつかまれない船板につかまり救助を待っていたとき、もう一人乗員が泳いで近づいてきた。貴方はどうするか?」というものです。自分が生き延びるには相手を追い返す、つまり殺すしか方法はありません。現実社会の法律では、相手を殺しても正当防衛です。又相手が貴方を殺しても緊急避難で認められます。つまりこの世界の正義は力の強い者勝ちです。この世界は所詮弱肉強食だということです。私たちは正義に頼るのではなく、宗教心、自分の仏性に従いたいと思います。仏教の心では、私は相手に板をあげるしかありません。どんな状況でも相手と争うこと、相手を殺すことはするなというのが仏教でしょう。そこは確認しておきましょう。

合 掌

2023年11月1日 - ≪今月の言葉

少年のして阿修羅のしぐれをる   鍵和田釉子

   急な寒さに震えてしまう今日この頃

  様々な現実は、もの悲しげな瞳にしかならない。

  絶望の明日しか見えない現実を生きるには、

  もはや念仏しか力にならない。

2023年10月1日 - ≪法話

10月のお話

 ホームぺージをご覧いただきましてありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させていただきます。
 暑さ寒さも彼岸までとはよく申したもので、朝夕は涼しくなってきました。まだまだ暑い日もありますが、徐々に涼しく過ごしやすい季節になってきたように感じます。
 さて、10月に入りますと、胸に赤い羽根をつけた人をあちらこちらで、よく見かけるようになります。私も、ボーイスカウト活動をしていた時、早朝から子供たちと一緒に駅前で赤い羽根の活動を行っていたことを思い出します。この赤い羽根の運動は、赤い羽根や共同募金と略されたりしますが、正式には赤い羽根共同募金といわれ、1947年に始まり、現在に至るまで76年の歴史を持ちます。私たちひとりひとりがお金を出し合い、実際に困っている方々に少しでも生活の足しになればという、助け合いの運動です。
 私たち世代ですと、金八先生のお説教で「人という字はお互いに支え合ってヒトとなる」という名セリフを思い出す人も多いかと思います。もちろんその通りで、私たち人間は、一人では生きていけないもので、助け合って、支え合ってはじめて人としての営みができるのだと思います。ただ、悲しいことに、助け合い、支え合うのも人、いがみ合い、奪い合うのも人の行動なのだと思います。どうしても、自分中心に考えてしまい、相手を思いやる気持ちが欠けてしまいがちです。
 私自身が子供のころは、募金箱を肩に下げ、駅前で声を張り上げて「赤い羽根にご協力お願いします!」と叫んでいましたが、成人し指導者という立場になり、子供たちに赤い羽根の共同募金の説明をすることが増えました。その時は、「ひとりひとりは少ないお金でも、みんなで少しずつ出し合えば実際に困っている人を少しでも助けることができる、そんなおもいやりの心を形にしたのが赤い羽根のバッチだよ」と説明していました。
 何かを成すときに、それが形として戻ってくるということはとても充実し大切なことなのかもしれません。そして、今、僧侶となりもう一歩先に思うことができました。
 それは、どうしてもその羽が欲しい、募金をすれば誰かを助けているという実感や達成感が欲しいという対価を求めるのではないということなのではないでしょうか。もちろん形にしていくということも大事なことの一つではありますが、形には欲が付き物で、募金額の数字に目を奪われてしまい、また、これだけやったんだからという思いになってしまいます。
 それよりも、助け合い、支え合うという言葉が出ないほど当たり前のような平等な世界になることが必要なのだとは思います。ですが、悲しいことに常にその思いが続くわけでもなく、又、人間にとっては限界があります。どうしても、平等にすべての人の幸せを願い、行動することができないのが私たち人間なのだと思います。
 このような断片的な限界のある人間の慈悲よりも、すべてを等しく、平等にお救いくださると誓い仏さまになられた阿弥陀さまの人間とは明らかに違う次元の慈悲に帰依し、我が名を呼べば必ずや西方極楽浄土に往生させるという「称名念仏」のみ教えを実践していくことなのだと思います。

合 掌

2023年10月1日 - ≪今月の言葉

秋深き 隣は何を する人ぞ  松尾芭蕉

この句は晩年の病床に臥せていた時に詠まれました。
厳しい暑さが過ぎ去り、みのりのある秋。
隣人の灯りを怪しむのではなく、
思い馳せる気持ちが、心豊かにしてくれる気がします。