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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2024年6月1日 - ≪今月の言葉

紫陽花や きのふの誠 けうの嘘  正岡子規

アジサイの花が雨に濡れるとあざやかな色合いに変化します。
また、乾燥すると色があせたりもします。
このようなことから花言葉は「無常」と表現されます。
常に変化し続ける人の思いも、観方一つで変わってゆくのだと思います。

2024年6月1日 - ≪法話

6月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 先月18日は、大施餓鬼法要が近隣の僧侶とご一緒に盛大にお勤めさせていただくことができまして感謝申し上げます。日中は30℃近い気温となり、朝夕は20℃前後と寒暖差の大きい日となりました。なかなか、この気温差はからだの負担も大きいように感じます。
 さて、今月は梅雨時の雨の季節です。梅雨に入れば、毎日傘を必要とし、少し煩わしい季節のように感じますが、曹洞宗開祖の道元禅師の『正法眼蔵随聞記』の一節に「一日、示に云く、古人云く、霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」と云われ、霧雨の中を歩いていると、知らぬ間に衣服が濡れてしまうように、それと同じく、よき人と、よき友人と、よき教えと交わっていると知らぬ間に自身が良き方向へと導かれていくという言葉です。このように思えたら、濡れることも少し違って見えてくるのかもしれません。
 ただ、昨今よく耳にする線状降水帯と言われる大雨となると、ビショビショになるし、酷い時にはいのちの危険を感じるほどのこともあり、過ぎ去るのを待たなければならないこともあります。
 このように雨を、悲しみに喩えることができると思います。傘をさせば済むような雨であれば、傘のようになりその悲しみに寄り添い、心を穏やかにすることができるかもしれません。また、その雨が激しければ、家から出ることもできないように、立ち止まり過ぎ去るのを待つことしかできないかもしれません。
 ですが、そのような悲しみの中でも、その苦しい気持ちの中でも、その名を称えれば必ずお救い頂ける念仏の御教えに出会えたことを嬉しく思うと同時にありがたく思います。
また『無量寿経』の一節に、仏法を雨に喩え「法雨を澍(そそ)ぎ、法施を演(の)ぶ」とあり、雨は大地を潤して植物を生育させ、また生きとしいきるものの命を支える水を与えるとも云われます。つまり雨は悲しみだけではないのです。
 まだまだ若輩者の私ですが、いろいろな出来事に出あい立ち止まってしまうこともありますが、お念仏とともに生きていくことは悲しみが癒えるだけでなく、その糧ともなるということ、そんな思いを気づかせさせて頂ける月になるように感じます。
 

合 掌

2024年5月1日 - ≪法話

5月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 先月は地方自治の長が相次いで差別発言や、ハラスメントを起こす不祥事が続き、3人もの長が辞任されました。私は現在浄土宗人権啓発委員会の委員長でもあり、興味深く見ていました。
 最初の静岡県知事の職業差別の発言は、目の前の人を持ち上げんとするため、いない人を差別する悪質なものでしたが、月末に露見した東郷町長のパワハラ、池田町長のセクハラは、何年にも及ぶ悪質な犯罪で、行為者一人の問題ではなく、取り囲むその社会全体の犯罪だと思いました。
 たとえ告発者がいても、それを握りつぶす構造的権力の問題です。これはハラスメントの問題では必ず起こることです。ハラスメント問題は、地位のある人が部下など反論できない人に対して起こす犯罪で、地位のある人をかばう人が必ず出てくるものです。実は宗教界でも今年14年に及ぶセクハラ、パワハラが明らかになった事件があります。まだまだ調査中とのことですが、この処置を誤ると、宗教教団も大変なことになるでしょう。組織はしっかり真摯に向き合って、加害者がどんなに偉い人であろうとも、被害者の心に向き合った結論がでることを望みます。
 先日香取貴信さんの講演記事に感激しました。彼はあの世なんてないと思っている人と、あると思っている人がいるとし、自分はどちらでもいいがと前置きして、もしないと思っている人は、きっとこの世がすべてなのだから、他人の迷惑など関係なく、自分の好きなように生き、エゴを通した一生を終わるだろうとしています。実際あの世がなければそれで終わるでしょう。けれど、もしあの世があったら、死後きっと彼は思うでしょう、「あれあったんだ、やばい地獄が見えてきた」と。
 またあの世があると思っている人は、人のことをまず考え、自分のことは後回しにしても、世のため人のために尽くす一生を終え、亡くなったとき、あの世がなければそれで終わりだから感想を持つこともないが、あの世があったならば、そこで両親や友達と会い「いい人生だったね」と褒められ、先祖と楽しく暮らすことだろう。そして今この世を生きるときも、きっとご先祖はどんな自分でも応援してくれると思え、力強く生きられると。
 つまりあるか、ないかではなく、あると思って生きた方がいいということです。
 たとえどんな地位になったとしても、人間自分の地位に溺れることなく、恥ずかしくない生き方をする。それにはその根本にあの世があるという意識が必要なのです。         

合 掌

2024年5月1日 - ≪今月の言葉

座について供養の鐘を見上げけり  高浜虚子

    この鐘は鐘供養の梵鐘でしょうが、

    本堂の鐘、鏧子きんすも法要の始めにたたくと

    身も心も引き締まります。

    新緑の季節、締まってゆきましょう。

2024年4月1日 - ≪今月の言葉

念仏の お練り行列 桜花爛漫  岱忠

     4月は浄土宗開宗850年慶讃会、令和六年度御忌大会が
    2日から9日まで開筵されます。
    今年の桜はこの期間に合わせたかの如く咲き誇ることでしょう。
    ありがたくお念仏を称えさせていただきます。

2024年4月1日 - ≪法話

4月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 先月当山に於いて、浄土宗開宗850年記念慶讃法要並びに春彼岸中日法要が盛大かつ厳粛にお勤めができましたことを大変感謝申し上げます。医師であり写真家でもある井上先生による、「生命の不思議―生命といのち―」と題してのご講演は大変興味深く、「命」とは始まりと終わりがある語として定義し、「いのち」とは生と死を超えたような循環していく「流れ」のような位置づけにし、この命の世界で生きていく私たちが如何にして生死の営みから「いのち」と俯瞰し、命からいのちへのプロセスを先生が実際に見聞きし収めたサバンナでの躍動感溢れる写真を基に、医学的な見地からお話されました。そのプロセスの中で、「ありがとう、感謝しています」のような、単純ではあるものの理屈ではなく良い言葉を繰り返し、思うより口に出して言葉にすることが、その第一歩であると語られ、すぐさま浄土宗僧侶である私は納得がいきました。
 というのも、皆様ご存じの称名念仏の御教えを説いた法然上人は、「南無阿弥陀仏」と思うのではなく口に出してお称えしなさいと説いた言葉と正にマッチしたように感じたからです。南無とは仏様に帰依し、感謝し、敬う言葉の音写後であり、その後の言葉に阿弥陀仏が入ることで、阿弥陀様に帰依し、感謝し、敬うということなのです。そして、阿弥陀様のサンスクリット語では、量りしれない光をもつアミターバと量りしれない寿命をもつアミターユスから成る語源からナムアミダブツ=南無阿弥陀仏なのです。
 このように「ありがとう、感謝しています」という言葉は南無阿弥陀仏に包摂され、阿弥陀様のいのちを超えた御姿と、南無阿弥陀仏と口に出してお称えすればだれもが救われる量りしれない光を放つお救いの御姿が阿弥陀仏なのです。
 だからこそ常日頃からお称えし、後生を確実なものとし、自身の生活をより豊かなものにしていく言葉が「南無阿弥陀仏」なのだと思います。
 このような素晴らしい御教えをお説きになった法然上人が浄土宗を開宗し850年の時が経ちました。大本山増上寺では、浄土宗開宗を慶び讃える浄土宗開宗850年慶讃会並びに御忌大会を4月2日から9日まで奉修されます。例年と比べ今年は桜の開花が大幅に遅れ、この御忌大会期間中はみごとに咲き誇ることと思います。芝、大門では各寺院の住職が集まり、桜花爛漫の中、歴史を感じさせる春の風物詩、お練り行列を観ることができるかと思います。称名念仏の御教えに感謝し、是非、お花見も兼ねてご参詣くださいますようお願い申し上げます。そして、ご一緒に南無阿弥陀仏とお称えできればと思います。

合 掌