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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2024年4月1日 - ≪今月の言葉

念仏の お練り行列 桜花爛漫  岱忠

     4月は浄土宗開宗850年慶讃会、令和六年度御忌大会が
    2日から9日まで開筵されます。
    今年の桜はこの期間に合わせたかの如く咲き誇ることでしょう。
    ありがたくお念仏を称えさせていただきます。

2024年4月1日 - ≪法話

4月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 先月当山に於いて、浄土宗開宗850年記念慶讃法要並びに春彼岸中日法要が盛大かつ厳粛にお勤めができましたことを大変感謝申し上げます。医師であり写真家でもある井上先生による、「生命の不思議―生命といのち―」と題してのご講演は大変興味深く、「命」とは始まりと終わりがある語として定義し、「いのち」とは生と死を超えたような循環していく「流れ」のような位置づけにし、この命の世界で生きていく私たちが如何にして生死の営みから「いのち」と俯瞰し、命からいのちへのプロセスを先生が実際に見聞きし収めたサバンナでの躍動感溢れる写真を基に、医学的な見地からお話されました。そのプロセスの中で、「ありがとう、感謝しています」のような、単純ではあるものの理屈ではなく良い言葉を繰り返し、思うより口に出して言葉にすることが、その第一歩であると語られ、すぐさま浄土宗僧侶である私は納得がいきました。
 というのも、皆様ご存じの称名念仏の御教えを説いた法然上人は、「南無阿弥陀仏」と思うのではなく口に出してお称えしなさいと説いた言葉と正にマッチしたように感じたからです。南無とは仏様に帰依し、感謝し、敬う言葉の音写後であり、その後の言葉に阿弥陀仏が入ることで、阿弥陀様に帰依し、感謝し、敬うということなのです。そして、阿弥陀様のサンスクリット語では、量りしれない光をもつアミターバと量りしれない寿命をもつアミターユスから成る語源からナムアミダブツ=南無阿弥陀仏なのです。
 このように「ありがとう、感謝しています」という言葉は南無阿弥陀仏に包摂され、阿弥陀様のいのちを超えた御姿と、南無阿弥陀仏と口に出してお称えすればだれもが救われる量りしれない光を放つお救いの御姿が阿弥陀仏なのです。
 だからこそ常日頃からお称えし、後生を確実なものとし、自身の生活をより豊かなものにしていく言葉が「南無阿弥陀仏」なのだと思います。
 このような素晴らしい御教えをお説きになった法然上人が浄土宗を開宗し850年の時が経ちました。大本山増上寺では、浄土宗開宗を慶び讃える浄土宗開宗850年慶讃会並びに御忌大会を4月2日から9日まで奉修されます。例年と比べ今年は桜の開花が大幅に遅れ、この御忌大会期間中はみごとに咲き誇ることと思います。芝、大門では各寺院の住職が集まり、桜花爛漫の中、歴史を感じさせる春の風物詩、お練り行列を観ることができるかと思います。称名念仏の御教えに感謝し、是非、お花見も兼ねてご参詣くださいますようお願い申し上げます。そして、ご一緒に南無阿弥陀仏とお称えできればと思います。

合 掌

2024年3月1日 - ≪今月の言葉

あかつきの箒のあとや彼岸寺  河野静雲

   十七年共に暮らした愛犬が亡くなりました。

  毎朝一緒に見回っていた墓地

  しばらく歩く気になりませんでした。

  でももう春、また見回り始めましょう。

  墓の犬に笑われないように

2024年3月1日 - ≪法話

3月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 三寒四温という言葉が、何か恐ろしさを感じさせる今日この頃、あまりにめまぐるしい気温の変化についてゆけず、戸惑う毎日を感じている方も多いことと思います。
 さて、気がついたらもう3月、おひな様を出すのを忘れていた方も多いのではないでしょうか。この雛祭り、歴史を見ると意外と新しいことに驚きます。どうも今の形になったのは江戸時代の寛文年間(1661~1672年)頃のことのようで、それまでは雛流しだったようです。つまり私たちの罪や穢れを人形などにたくして川に流す行事だったようです。何でも悪いことは水に流すとよかったようです。西洋では罪を雄の羊に背負ってもらって荒野に放すという、いわゆるスケープゴートが行われていましたが、日本では浄化作用は川にあったようで、川は流す意味と同時にこちらの岸から向こうの岸に渡る事も大きな意味を持っていて、向こう岸は理想の世界を意味していました。
 仏教ではこちらの岸を此岸、向こうの岸を彼岸と喚び、此岸を私たちのいるところこの世とし、インドの言葉ではサハー(娑婆)、意味としては「忍土」、彼岸を理想の世界、安楽なるところとしてインドの言葉でパーラム(波羅蜜)悟りの世界としました。この此岸から彼岸に渡る教え、方法が仏教です。
 それには様々な教えがありますが、すべて方法論としては三つになります。つまり教え、智恵を学ぶこと、心を統一する禅定、そして生活の規範、戒律を守ることです。宗派などでこの三つにそれぞれ違いはありますが、この三つは仏教徒は否定することはできませんでした。否定すれば仏教徒でなくなってしまいます。しかし法然上人という方は、自分自身を見つめると同時に、多くの人々のことを考えました、そして言ったのです。「私にはこの三つを成し遂げることはできない」と、これはすごい言葉です。まるでアンデルセンの童話『裸の大様』の少年の言葉「王様は裸だ」に通じる言葉です。法然上人はすべての人が救われなければ、仏教の基本に反することと思いました。そして仏教をもう一度洗い直し、学びなおした結果、善導大師の次の言葉に出会います。「一心に阿弥陀様のお名前を唱えなさい、そうすれば阿弥陀様が救ってくれる、それが阿弥陀仏の願に順じている行為だから」です。
 この念仏一筋に心が定まった年を1175年とし、そこから数えて今年が850年になります。自分が一人が悟りを開くことを目指すのではなく、周りの多くの人々と共に安楽な日々を目指す教え、それが法然上人が目指した仏教です。

合 掌

2024年2月1日 - ≪今月の言葉

涅槃図を かけたる寺の 閏年  萩原麦草

     お釈迦様の御教えを

    聞くことができる素晴らしさ

    この世に生まれて

    ただただ、ありがたい

2024年2月1日 - ≪法話

2月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
まず初めに、このたびの「令和六年能登半島地震」により、大切なご家族を亡くされ、また住まいや故郷に甚大な被害を受けられました多くの方々に心からお見舞い申し上げます。
 いまだ、被災地では余震が続いており、多くの方が不安な時を過ごされていることと存じます。一日も早い復旧・復興と皆様が平穏な日々を取り戻せるよう衷心よりお祈り申し上げます。
 また、2月11日は、様々な議論がなされる日本の建国記念日ですが、歴史を振り返ってみますと、我が国もたくさんの苦難、悲しい出来事がありました。過去を振り返ってみましても、大災害に見舞われたことも多くありました。今、豊かさのなかで生きてきた私たちは、まさに転換期をむかえているように思います。
 だからこそ、人と人が手を取り合って、支え合って生きていくことの尊さを、「苦しみ」や「悲しみ」から学び次の一歩へと結び付けていけるようになりたいと思います。
 そして、どんなに文明が発達したとしても、人知を超えた惨劇は起こるのかもしれません、ですが、この苦しみや悲しみを踏みしめ、乗り越えて、より一層こころが豊かになるのだと思います。また、今を生きる人たちやこれから生きる人たちは、先にお浄土に往かれた人たちを決して忘れずに弔い、敬い、限りあるいのちの大切さを伝え、この思いを繋ぐ担い手として生きていくのだと思います。
そのように気づかせてくれる数多くの御言葉の一つに
     ここに我ら、いかなる宿縁にこたえ、いかなる善行によりてか、仏法流布の時に、
    生まれて、生死解脱のみちを、聞くことを得たる
と法然上人が述べられました。いまこの苦しい、悲しい時であっても、お念仏の御教えを聞くことができるという一説です。今月15日はお釈迦様が亡くなられた涅槃の日です。
 この涅槃の時期に合わせて涅槃図を公開するお寺もあります。この涅槃図では多くの人と、動物、そして昆虫や架空の鳥にいたるまで、多くのものたちが嘆き悲しみ、うちひしがれている姿が描かれています。今回注目したいのは、その涅槃図に描かれている、お釈迦様の足もとでうずくまるお婆さんについてです。このお婆さんはお釈迦様の時代に生まれ、同じ国に生きながらもお釈迦様にお会いできず、仏法を聞くことが叶わなかった方です。それに比べ私たちは、国も違い、時代も違いますが仏教の「お念仏の御教え」を聞くことのできる時代に生まれることができたのです。このことのありがたさを感ぜられずにはいられません。
 まさに、この法然上人の御言葉が胸に響き「南無阿弥陀仏」と称えて皆様と一緒に歩んでいきたいと思います。そして、悲しいこと、つらいことを拭い去ることは難しいのかもしれませんが、次につながる一歩として称え続けていきます。

合 掌