siteLogo
  • TEL : 03-3441-8971
  • FAX : 03-3441-8702

住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2022年6月1日 - ≪法話

6月のお話

 毎日のように変わる気温の変動に、ついてゆかない方も多いかと思います。早いもので今年ももう6月、夏の衣を出しながら、6月1日に衣替えをするのは、今や学生と僧侶くらいかなあとぼやいたりしています。
 この原稿も来月からは隔月で、弟子の岱忠に書いて貰うことにしました。私が住職になって今年で37年になります。住職になった時は私も30歳でした。岱忠ももう39歳なので、自分の言葉を発する場所があるべきだと思いました。そこで今年は奇数月の原稿をお願いしています。楽しみにして下さい。
 6月10日は恵心僧都源信和尚の命日です。源信和尚といってもご存じの方は少ないと思いますが、中国では「日本小釈迦源信如来」と言われるほどの方です。『往生要集』を著し、日本浄土教の基礎を作られた方で、その主旨は「欣求浄土 厭離穢土」とし、「往生の業は念仏を本とする」と主張されました。実は私の僧名「心蓮社源阿恵譽」はこの方のお名前から拝借したものです。学生時代に『往生要集』を読んで感激して、つけてしまいましたが、今では恐れ多いことをしたものだと反省しています。
 この源信和尚の「往生のためには念仏が基本だよ」とする教えは、まさに浄土教の基本理念となります。法然上人もその主著『選択本願念仏集』の冒頭に直筆でご名号の下にこの言葉を書いていますが、ただ、法然上人は「念仏を本とする」ではなく、「念仏を先とする」に書き換えています。「本」と「先」ではどう違うかと言えば、「本」は教えですが、「先」は行動になるのではないかと思っています。 法然上人は遺言である『一枚起請文』でも、「智者のふるまいをせず、ただ一向に念仏せよ」と頭でっかちになるなと諫めています。 今放映中のNHKテレビの大河ドラマ「鎌倉殿と13人」で描かれていますように、法然上人が生きた時代は戦乱に明け暮れ、地震、大火事など災害も多く、世の中が混乱していた時代です。そんな時代の中で法然上人は理念ではなく、行動を重視し、目の前の人をとにかく救いたいの一心から、「とりあえず称えよ」と言いたかったのではないでしょうか。この世が地獄でしかない、来世にしか救いの道がなかった人々に対しての心が現れている言葉が、「往生するためには、念仏を先ず称えなさい」だったのではないかと思います。
 今の日本も鎌倉時代ほどではないにしろ、感染病、戦争、大地震と、恐怖がないと言ったら嘘になるでしょう。そんな中で心を平常に保ち、間違った判断をしないことが大切です。何でも闘うことばかり考えていると、心もすさんできます。あくせく、がつがつ、イライラで生きるのではなく、のんびり、ゆったり、ほどほどに生きるためにお念仏をお称えしましょう。

合 掌

2022年6月1日 - ≪今月の言葉

雨安居の雨をもらひて咲けるもの  後藤比奈夫

 梅雨の前にもう夏が来てしまったような日々
マスクを取って良いやら、悪いやら
空気を読むより、理性でとはいうものの
やはり自分一人では取れないものです。

2022年5月1日 - ≪今月の言葉

たまたまに三日月拝む五月かな  去 来

 五月には満月よりも三日月が似合う気がする。
若葉まぶしいこの季節、きみどりの色が目にしみる。
ウクライナの戦争は出口が見えなくなっている。
とにかく戦いが終わること、ただそれだけを祈る。

2022年5月1日 - ≪法話

5月のお話

 今の日本は世間の雰囲気がおかしくなっています。東大で反戦を訴えた講師が、学校側やネットで批難の対象になったり、ロシアや中国のことを少しでも認めるような言動をすると、大変なことになってしまいます。ロシアの侵略を肯定する気は全くないのですが、かといってウクライナの流すニュースをそのまま信じることも、戦時中の日本と一緒で、正しいとは思いません。戦争に良い戦争などあるわけがありませんから、一方の情報だけを信じ、武器の給与をするナトー、とりわけアメリカを誰も問題視しないことに、疑問を感じるのはおかしいのでしょうか。
 とにかく戦いを終わらせること、武力を用いない問題解決、それが憲法九条を持つ日本の説くべき姿勢だと思うですが・・・。
 こんなことを言えば、それは理想論だと笑われてしまうでしょう。しかし問題解決に当たる心の持ちようを、西洋では子どもの純真無垢な心を理想としました。キリスト教では「幼な子のようにあれ」と言いました。しかし仏教では子どもの純真さは時に残酷さもあることから、邪念を克服した無心を理想としています。無心はうつろな心ではありません、こだわりのない心です。鈴木大拙師はこんな話を紹介しています。
 きこりが山で木を刈っているときに、サトリという動物と遭遇しました。とても珍しい動物なので、きこりは捕らえてやろうと考えました。「お前は俺を捕まえようと思っているな」サトリは人間の心を読むことができるのです。ぎょっとしたきこりにサトリは続けて「お前は言い当てられてびっくりしているな」、そして「今度は俺を殺す気だな」、少し時間をおき「おやもう捕まえることも諦めたか」。その言われたのち、きこりは本当にサトリのことを忘れてしまいました。そしてただ木を刈っていた。その時、きこりの打ち下ろした斧の先が取れ、飛んでいってしまったのです。そしてその斧の先がサトリに命中してしまいました。サトリは人の心は読めても、無心は読めなかったのです。そんなお話です。
 私たちは良い仕事をしよう、人から褒められようと、あれこれ考えています。そんなこだわりがあるとなかなか良い仕事ができないでいます。良い仕事はこだわりがなくなったときにあんがいできるものです。無心とは、こだわりのないあっけらかんとした心だというのです。
 さて、無心で問題解決に当たるとはどういうことでしょうか。それは心の中の理想論をしっかり持ちながら、問題解決に当たることを指すことのように思います。今政治家が守らなくてはならないものは、領土保全でも政権維持でもなく、国民の命です。つまり戦いが終わること、それ以外ないと思うのですが。

合 掌

2022年4月1日 - ≪法話

3月の春彼岸中日法要の様子・4月のお話

4月のお話

 寺にある一本の桜も満開を過ぎ、見る見るまに足下の地面を花びらの絨毯に変えています。梅と違い、桜は一気に満開になり、一気に散ってしまう。むしろ散る見事さが人々の心に強く印象づけられる花で、軍歌にも「咲いた花なら、散るのは覚悟」と歌われ、特攻隊の部隊名にも山桜隊や若桜隊などと使われ、特攻機に桜が描かれるなど、桜は勇ましさの象徴でした。死を美化するときに使われてきた事が多いのかもしれません。
 ウクライナの戦争の報に接し、ウクライナの大統領の言葉を聞きながら、二十世紀の戦争の時代と何一つ変わらない、国民は命をかけて国を守ると豪語する政治家の言葉にうんざりしてしまいます。 「戦況」と言う言葉の裏で、多くの人が亡くなっていることを思うと、なんとしてでも、何を犠牲にしても戦争を止めること、何よりも優先すべきは人の命であるはずだと思うのです。
 日本もこの優先順位を間違ってしまっているように思います。生産コスト、人件費の安い国で全て生産してきたことにより、二年前はマスクさえなくなってしまいました。今は半導体など支障を来しているようです。でも最も怖いのは食料です。日本の食糧自給率の低さは、ウクライナの戦争でさえ、影響をもたらしています。
 私たち人間の価値観はどうでしょう。ひろさちや氏が以前こんな話を教えてくれました。あの「うさぎとカメ」の話をインドでしたところ、誰もが「この話はカメのような人になってはいけないという話ですね」と言うそうです。そこで「いやいや、日本ではこの話は自分の力にうぬぼれて怠けたうさぎはだめで、一生懸命努力すればうさぎにも勝てるカメが偉いという話です」と言うと、インドの人は「それは違う、一緒に競争している相手が途中で寝ていたら、起こしてあげるのが当たり前だ、もしかしたら具合が悪いのかもしれないじゃないか」というのです。これには目から鱗でした。私たちは努力することの尊さばかりが頭にあり、人として生きる意味、人の道を忘れていたのです。人のことを思いやる心、仏教が一番大事にしている慈悲の心を忘れていたのかもしれません。これでは阿難尊者が餓鬼になるぞと脅されたように、私たちはすでに完全な餓鬼になっているのかもしれません。カメでもかけっこの競争でうさぎにも勝たなければだめだと教えられた私たちは、勝った人はえらく、負けた人は怠けていたんだとののしってきたのかもしれません。もうそんな価値観やめましょう。努力がしたくてもできない環境の人もいます。はじめから持っている能力の違う人が、そもそも競争をすること事態が馬鹿げているのです。みんなそれぞれが持っている能力で尊いのです。人と比べることではありません。それがお釈迦様の誕生の偈「天上天下唯我独尊」の意味です。

合 掌

2022年4月1日 - ≪今月の言葉

さまざまなこと思ひ出す桜かな  芭 蕉

 今年も三ヶ月が過ぎ、桜も盛りを超えた。
コロナはまだまだ収束の兆しはなく、
ウクライナの戦争も悲惨を極めている。
何か光はないか、せめて熱を感じるものをさがしたい。