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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2021年11月1日 - ≪法話

11月のお話

 コロナの感染状況が極端に減ってきた今日この頃、しかしその理由が曖昧模糊の中、選挙も終わり六波の襲来が来るのではないかと不安な日々を送られていることかと思います。
 そして、最近地震がたびたび感じられ、先月7日には震度4の地震がおき、当寺でも本堂の瓦が一部損壊するなど、被害がありました。総代の重田氏の取り計らいもあり、翌日速攻で瓦屋さんに来ていただき修理することができ、ありがたく思います。
 『今月の言葉」で取り上げあげた良寛さんは、文政11(1828)年の11月12日、越後の三条を襲った大地震に遭遇しています。倒壊家屋98,100戸、焼失家屋1,200戸、死者1,443人の大地震でした。このとき71歳の良寛さんは、知人の山田杜皐に宛てて書簡を送り、その中で「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」 災難に遭うときは、災難を災難とあきらめて、無心で受け止めればいい。災難の中で、あれこれ思い煩うことをやめよ。というのが良寛さんの教えなのでしょうが、それは禅僧だから言えることで、我々はそうとわかっていても、なかなかできることではないでしょう。先日の時も家中を点検し、たいした被害がなかったことを確認して床につき、翌朝外に出て、本堂の屋根に気がつき愕然とした次第で、「災難に遭うがよく候」とはなかなかゆかないものです。
 そもそも禅の公案や禅僧の話はついてゆけないことが多い、中国の趙州和尚はある僧の「狗子(犬)に還って仏性有りやまた無しや」という問いに「無(ない)」と答えている。犬に仏性が有るかないかという問題は、仏教学的には「有る」に決まっている。猫だろうが猿だろうが、どんな人間にだって仏性はみんな持っている。にもかかわらず、「ない」と答えたのはなぜかといえば、それはこの僧の問い自体がおかしいからだという。生きとし生けるもの全て仏性があるか?そのことに悩んでいる僧に、悩んで決める有るとかないとかではなく、絶対にあるという高次元の有るなのだと教えたくて、わざと「ない」と答えたという。そういえば臨済の公案に「猫を殺せ」というのが有るという。ここまで来るともうついてゆけない。
 法然上人のお弟子のひとり証空上人は自らのお念仏を「白木の念仏」と言っている。私たちは何かをするとき、とかく理屈をつけたくなります。お念仏であっても大乗の悟りだとか、教学的理解だとか、戒律や禅定といったもので念仏に色どりをつけてしまう。「そんな色どりは何もいらないので、私の念仏は白木の念仏です。ただ唱えればいいのです」という。素直でまっすぐ、それがお念仏の心です。

合 掌

2021年11月1日 - ≪今月の言葉

うらを見せおもてを見せてちるもみぢ  大愚良寛

これは良寛さんの辞世の句です。
また、子どもの頃よりずっとかわいがってくれた方が亡くなった。
最後の弔いを、自分でできることにありがたく思い。
ただただお浄土の存在に感謝する。 

2021年10月1日 - ≪法話

9月の秋彼岸法要の様子・10月のお話

 今年の春「正僧正」の位をいただき、「緋衣」の被着許可をいただいたことを、お檀家さんに報告したところ、多くの方から多大なるお祝いを頂戴しました。そこで、感謝の思いを形に致したく、昭和29年の本堂落慶以来新装していませんでした「夏の七条袈裟」を製作しました。そのお披露目もかねて秋彼岸会の中日法要をつとめました。
 立派な衣、立派なお袈裟を着けると思い出すお話があります。
 とんちで有名な一休禅師のお話です。一休禅師が大覚寺に入り、それなりのお歳になってからのお話です。
 京都の商屋で盛大な法要があり、その導師を一休和尚に依頼した。一休和尚は気楽にその役目を引き受けた。当日一休和尚はどこから見つけてきたのか汚らしい衣と袈裟を着け、手足にすすをつけ、菰をかぶってその商屋に行き、玄関から入ろうとした。
 びっくりしたのは家の主人で、「見苦しいやつじゃ、さっさと追い出せ」と下男に命じ、一休和尚はさんざん棒で打たれて、外に追い出された。
 その後和尚は、立派な衣に金襴の袈裟をつけて、堂々と商屋の門前に立った。主人は「どうぞ、どうぞ」と奥に案内しようとした。「いや、愚僧はここで結構です」と一休禅師は動こうとしない。 「ここは下郎の座るところ、、さあ、どうぞ奥へ」という主人に、「ではわしの衣だけを奥へ連れて行って下さい。中身のわしは、ここから追い出されたのですから」 
 実はこの話、3世紀にインドで成立した『大智度論』に全く同じ話があると言います。カシミールの僧が粗末な衣で訪れたとき、門前で追い返され、立派な衣を借りて行くとすばらしい供養にあずかった。そこで僧は、供養の品をその衣服に与えたという。
 日本でもインドでも、昔から人間を外見で判断する傾向がありますが、仏教者が好んでこの話を書いているのは、僧侶の側がしっかりとそのことを理解しなければならないことを示しているからでしょう。立派な衣や金襴の袈裟を着けると、それだけで偉くなったように勘違いしてしまう人間の弱さも、着ける側はしっかり理解して気をつけていなくてはならないということでしょう。
 知り合いの僧侶で、わざとぼろぼろの衣や袈裟を着けている人がいますが、それもおかしな話で、檀信徒の思いもしっかり受け止め、自分自身の意識をしっかり保つことを心がけたいと思います。
 十月は衣替えの季節です。とはいえ最近では学生さんと僧侶くらいしかそれを知ることができないのは寂しい限りです。

合 掌

2021年10月1日 - ≪今月の言葉

お十夜や一人欠けたる世話ばん婆  河野静雲

今年は亡くなる方が多く、寂しさがつのります。
特に念仏会や行事に欠かさず来ていただいていた、
人気者のおばあさんは、今お浄土から我々を、
きっと見ていてくれるでしょう。

2021年9月6日 - ≪法話

9月のお話

 東京2020オリンピック・パラリンピックが閉幕しました。
 7月のはじめには国民の半数の方がその開催に疑問を投げかけた大会でしたが、政府関係者は開催を強行しました。もちろん競技自体はアスリートの人たちの努力で、すばらしい感激の連続でした。テレビで観戦しながら、その勝敗に一喜一憂しながらスポーツの力を感じ、興奮の毎日でした。しかしそのためとは言わなくても、コロナの感染爆発は起こり、今や医療機関が完全にパンクしてしまっているようです。路上に長い時間行き場を失っている救急車を数多く見かけるようになりました。
 また変異したウイルスは感染の若年化が甚だしく、感染者の半数が10代・20代の若い人とのことで、子どもたちの感染が心配されています。感染病との戦いに欠かせないワクチンも、まだまだ打ちたくても打てない人が多く、政治家の言葉にかなりの違和感を覚えるのは私だけではないでしょう。
 この状況下の中で不安を感じる人は多く、ワクチンの予約に何時間もパソコンに向かい続けている人も多いと聞きます。
 ユダヤ教のラビ(牧師)のジョークに、友人からお金を借りていて、返済日が明日だというのに、返すお金がなく、どうしたものか夜も寝られないでいる夫に妻が、「明日お金を返せないというのなら、心配で寝られないのは先方のはずじゃない」。その一言で夫はぐっすり眠れたという。何とも無責任な夫ですね。
 心配しても無駄なことは、きれいさっぱりあきらめること、それが教訓であるという。この「あきらめる」は、仏教では「明らめる」で、物事の本質を明らかにすることとある。やるべきことをやり、備えるべきものを備え、リスクをおかさないようにして生活する。
後は、いかに楽しく幸福感を持てるかがコロナ禍の生き方でしょう。 バートランド・ラッセルは著書『幸福論』の中で、「幸福とは、常識的であること、何事にも興味関心を持つこと、自己にこだわりすぎず、大地と他者に関わること」と述べ、そして何よりも「幸福は愛する人が幸福であるのを見ること」だとしています。
 哲学者や思想家、そして何よりも宗教が何千年も説き続けてきた幸福は、人を支えることが一番の幸福を呼ぶということです。
 お彼岸という「心の修養週間」お中日の前3日あと3日のそれぞれを布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の日としています。最初の日は「布施の日」です。布施とは相手を思いやり、支え、相手が欲していることをしてあげることです。それこそが自らが幸福になる道なのです。

合 掌

2021年9月6日 - ≪今月の言葉

さびしさは秋の彼岸のみずすまし  飯田龍太

オリンピック・パラリンピックが終わり、
コロナ禍に特化した日常に戻りました。
この秋は、特別さびしさが感じられます。
だからこそ、仏さまご先祖様にお参りしましょう。