住職の言葉
「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤
住職の言葉 - 一覧
2022年9月1日 - ≪今月の言葉≫
秋彼岸袂ひろげて飛ぶ雀 川崎展宏
コロナだ、異常気象だとふさぎ気味な日々
雀の姿を追って上を向くのも良い。
三味線の音で、気持ちを奮い立たせるのも良い。
何でも良いから、前を向いてゆこう。
2022年8月1日 - ≪法話≫
8月のお話
今月もホームページをご覧いただきありがとうございます。
住職からお話がありました通り、今月は弟子の岱忠がホームページの「お話」を担当させて頂くことになりました。今後は、偶数月には私のお話ができればと考えています。どうぞお付き合い頂ければ幸いです。
本来ですと、7月からの奇数月での担当となるはずでしたが、新型コロナウィルスの感染とそれに連なる後遺症に苦しめられ執筆することが叶わない現状がございました。自宅療養の10日間では、40℃近い熱に一週間近く浮かされ、また頭痛、めまい、咳、喉の痛みと倦怠感、今言われています症状が漏れなく現れました。唯一味覚障害がなかったことが救いでした。
熱が出てふらふらだった初期のころは、とにかく何も考えられず、ひたすらに床に臥せっておりました。今になって振り返ってみましてもただただ布団の中で横になっていたなと思う感じでした。私にとって辛かったのは熱が下がり療養期間の終える頃でした。熱が下がると意識はしっかりしてくるのですが、倦怠感は依然として残り、身体が思うように動かなかったのです。心と身体がバラバラにされたような感覚で、普段何気なく扉を開ける行動が、思っている動作と実際の身体の動きが合わず、まるで時間軸がずれたような動きになっている感じで開けるのに苦労しました。朝起きて暫くは目が覚めているにも関わらず身体を起こすのにも時差があるようで数十分は起き上がれないというような状況でした。
今まで、何も考えずともできていたような行動ができなくなるという感覚は衝撃的でした。
病などによって引き起こされる苦しみについて、今から数千年前にお釈迦さまが人間には四つの苦しみがあると説かれているのです。それが皆様ご存じの「生老病死」の四つの苦です。今回のような体験は直接的にみれば新型コロナに感染し、症状が現れて苦しいという四つの苦しみの一つなのですが、この苦しみとは実は「自分の思うようにならない」という意味そのものなのです。生きている限り、思い通りにならないことはたくさんあると思います。今回の件でも、感染したことによって自身の思い通りにならなかったことがたくさんありました。この辛い経験をポジティブに受け入れ、自分の思い通りにならないことが「あたりまえだ」と思えるように切り替えることができれば毎日の生活が楽になるような気がします。
このような心持ちに切り替えることは一人では難しいことなのかもしれません。私自身も、自宅療養中やその後の後遺症に悩まされているときに、様々な方々から支援物資や心がやすらぐことばを頂きました。誰かが苦しんでいる時にその苦しみを直接取り除くことはできないのかもしれません。しかし、助けてくれるというありがたさは、「思うようにならない」という思いから感謝の気持ちへと変わり、この経験は他の人が苦しんでいる時に「思いやれる」財産になるのだと思います。私達は、一人では生きていけないということ、自分さえ良ければということは、自身が困った時に初めて気づけることなのかもしれません。
その気づきである財産を心の中に留めておくだけではなく、行動に移すことが大事なのだと思います。私自身も行動に移せないことも多くありますが、一歩一歩、行動に移したいと思います。この行動こそが思いやりの連鎖をより多く広げられるのではないかと思います。
合 掌
2022年8月1日 - ≪今月の言葉≫
手花火を命継ぐ如燃やすなり 石田波郷
コロナにかかりし辛い日々。
そのつらさがこの私を鍛えてくれる。
そう思えたときに、病もまた人生の調味料。
苦くてまずい、なくてなならない調味料。
2022年7月1日 - ≪法話≫
7月のお話
気象観測史上最も短い梅雨が終わり、とてつもない酷暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
今月から隔月で岱忠君に書いて貰うことになっていましたが、6月の初旬コロナ陽性になってしまい、10日間の隔離生活の後、強い後遺症におそわれてしまい、のどの痛みと倦怠感で1ヶ月の安静を医者から言われてしまいました。そんなことで期待されていた読者諸兄には申し訳ありませんが、今月も住職が担当いたします。来月は書いて頂き、岱忠君には偶数月担当と変更いたします。
6月27日の朝日新聞の文化面に「日本は世界で何位」という企画があり、今回は「世界人助け指数」で何位かが出ていました。これは英国の慈善機関の調査で、過去一ヶ月の間に「見知らぬ人を助けたか」、「寄付をしたか」「ボランティアをしたか」などを聞き取りで調査したもので、1位はインドネシア、2位はケニア、3位はナイジェリアでした。さて日本は何位かというと、調査した114カ国中114位、つまり最下位でした。この結果に唖然としてしまいました。私のような世代の人間からすると、信じられない結果でした。そういえばある雑誌に今の日本人の信条を「カネだけ、今だけ、自分だけ」と書かれていたことを思い出し、まさに餓鬼道だなという思いをしたことを思い出しました。
仏教では六道輪廻を、後生(死後の世界)としてとらえるのではなく、今の状態を表現するものとしてとらえます。ある武道家が弟子が毎日神社の鳥居に立ちションをしても、罰が当たらないと豪語している姿を見て、武士たるお前が立ちションをすること事態、すでに畜生道に落ちているという罰が当たっていると言った言葉からもうかがえます。
私たちは日頃から注意をしておかないと戦うことが正しいかのごとく思う修羅道や、愚かさがわからない畜生道、貪りの止まらない餓鬼道、怒りが収まらない地獄道の心になってしまうと説くのが仏教です。私の寺でも毎年7月の第一土曜に「新盆施餓鬼会」を勤めます。この餓鬼に施すという法会は、餓鬼道に墜ちている先祖を救済するというのではなく、私たちの心に巣くう餓鬼を意識して、私たちが求める心をとどめて与える心に転化することを、実践を通して行うことで、お浄土のご先祖が安心して過ごして貰うことを目的にしています。なぜなら私たちのご先祖は誰一人餓鬼道などには墜ちていません。皆さん阿弥陀様の国、お浄土にいるのですから安心して下さい。けっして巷に出ている解説書など参考にしないようにして下さい。
合 掌
2022年7月1日 - ≪今月の言葉≫
大魚板雲を呑まんと半夏生 茂 恵一郎
大寺院にはよく廊下に魚板がかかっている。
昔はこの魚板をたたいて時間を知らせたという
木魚、魚板の魚は、私たちの怠惰を諫める意味だという
魚は本当に寝ないのだろうか。
2022年6月1日 - ≪法話≫
6月のお話
毎日のように変わる気温の変動に、ついてゆかない方も多いかと思います。早いもので今年ももう6月、夏の衣を出しながら、6月1日に衣替えをするのは、今や学生と僧侶くらいかなあとぼやいたりしています。
この原稿も来月からは隔月で、弟子の岱忠に書いて貰うことにしました。私が住職になって今年で37年になります。住職になった時は私も30歳でした。岱忠ももう39歳なので、自分の言葉を発する場所があるべきだと思いました。そこで今年は奇数月の原稿をお願いしています。楽しみにして下さい。
6月10日は恵心僧都源信和尚の命日です。源信和尚といってもご存じの方は少ないと思いますが、中国では「日本小釈迦源信如来」と言われるほどの方です。『往生要集』を著し、日本浄土教の基礎を作られた方で、その主旨は「欣求浄土 厭離穢土」とし、「往生の業は念仏を本とする」と主張されました。実は私の僧名「心蓮社源阿恵譽」はこの方のお名前から拝借したものです。学生時代に『往生要集』を読んで感激して、つけてしまいましたが、今では恐れ多いことをしたものだと反省しています。
この源信和尚の「往生のためには念仏が基本だよ」とする教えは、まさに浄土教の基本理念となります。法然上人もその主著『選択本願念仏集』の冒頭に直筆でご名号の下にこの言葉を書いていますが、ただ、法然上人は「念仏を本とする」ではなく、「念仏を先とする」に書き換えています。「本」と「先」ではどう違うかと言えば、「本」は教えですが、「先」は行動になるのではないかと思っています。 法然上人は遺言である『一枚起請文』でも、「智者のふるまいをせず、ただ一向に念仏せよ」と頭でっかちになるなと諫めています。 今放映中のNHKテレビの大河ドラマ「鎌倉殿と13人」で描かれていますように、法然上人が生きた時代は戦乱に明け暮れ、地震、大火事など災害も多く、世の中が混乱していた時代です。そんな時代の中で法然上人は理念ではなく、行動を重視し、目の前の人をとにかく救いたいの一心から、「とりあえず称えよ」と言いたかったのではないでしょうか。この世が地獄でしかない、来世にしか救いの道がなかった人々に対しての心が現れている言葉が、「往生するためには、念仏を先ず称えなさい」だったのではないかと思います。
今の日本も鎌倉時代ほどではないにしろ、感染病、戦争、大地震と、恐怖がないと言ったら嘘になるでしょう。そんな中で心を平常に保ち、間違った判断をしないことが大切です。何でも闘うことばかり考えていると、心もすさんできます。あくせく、がつがつ、イライラで生きるのではなく、のんびり、ゆったり、ほどほどに生きるためにお念仏をお称えしましょう。
合 掌