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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2025年11月5日 - ≪今月の言葉

人々を しぐれ宿は 寒くとも   松尾芭蕉

冬を感じさせる寒い中で句会の友の前で詠まれました。
寒さすらも楽しむという強い思いがこめられた句なのでしょう。
たとえ寒くても分かち合える友がいればその風情も楽しめる。
僕にはそのように詠まれている様に思います。

2025年11月1日 - ≪法話

11月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。朝夕の気温が下がり、冬の訪れを感じさせる季節となってまいりました。
 先月、浄土宗東京教区青年会の教団見学会で伊勢神宮を参拝して参りました。古くからの作法に従いまして、外宮から参拝し、内宮を参拝しました。現地の専属ガイドの方に同行していただきまして3時間以上かけて各社殿の説明をいただきました。その説明の中で各社殿は、20年経つと建て替える「式年遷宮」が行われるということ、また、釘を使わない木組みの技術により、古い建材を再利用し、別の神社に用いたり、倒壊したお社に優先的に回すという無駄をしないということに、驚きとともに神聖な雰囲気に圧倒されました。
 また、伊勢神宮の財政が困窮し、建て替えが困難に陥った折に浄土宗を含めた僧・僧尼たちが全国を巡ってお布施を集め内宮にかかる宇治橋の維持や建て替え、式年遷宮までも再興することができたそうです。明治初年の神仏分離令が発令するまでは伊勢神宮の内外に天台宗、真言宗、禅宗系や浄土宗など多くの各宗寺院が60ケ寺以上あったそうです。このような神道と仏教の関係を垣間見る貴重なお話が聞けました。
 一人では中々行けないお伊勢参りなど、このような貴重な体験ができた教団見学会を忙しい時期にも関わらず快く送り出していただきました住職と奥様に感謝申し上げます。また、ただ体験しただけでなく、その体験を共有し議論できた青年会員の仲間たちにも感謝申し上げます。
 帰りの新幹線で以前、住職が阿含経の一説をお話しされたことを思い出しました。それは釈尊と弟子の阿難との会話で、阿難が「仏法を学び、そして共に仏の道を歩む。このような善き友がいるということは、悟りのどのくらいを達成したといえるでしょうか?」との問いに「善き友がいることは悟りの全てだよ」と答えられたお話です。
この「善き友」はカルヤーナ・ミトラというサンスクリット語を善き・友と訳されました。カルヤーナは「善き」、「真の」や「幸福の」という意味があり、善き友を言い換えますと幸福へ導くありがたい友ともいえ、また、仏道を歩む身を衣食住のさまざまな方面から守る友がいるのだと思います。そしてこのような善き友がいる世界がまさに仏のご縁の一端なのではないでしょうか。
 一般家庭で育ち、お寺との繋がりが強かったわけではない私ですが、30歳過ぎてから師匠に出会い、出家し、多くの僧侶に出会い、そして支援していただけるお檀家様、いま正に仏道を歩まさせて頂けるこのご縁に感謝したいと思います。
 住職が以前、東京教区青年会の事務局長を拝命しこの「善き友」の輪を築き上げてきたことが巡り巡って、そのバトンを受け取ることができることに改めて感謝し、若輩者の私ですが、より良き輪を繋げていけるよう精進したいと思います。

合 掌

2025年10月1日 - ≪今月の言葉

けふの月馬も夜道を好みけり    村上鬼城

  今月は「お十夜法要」の月
  お十夜は元々「十日夜」なる収穫祭
  実りの秋、自然に、そして阿弥陀様に
  感謝をささげ、生きている今を喜びましょう

2025年10月1日 - ≪法話

10月のお話

 NHKテレビ朝の連ドラ「あんぱん」が終了しました。やなせたかしさん夫婦を描いた楽しいドラマで、見た方も多いと思います。脚本家の中園ミホさんが強調されたテーマが、やなせさんが本の題にもされた「正義について」でした。戦争を経験されたやなせさん夫婦にとって、戦前と戦後で逆転してしまった正義について苦しみ、その苦しみの中から生まれた逆転しない正義は、愛と献身だけという結論でした。人間の行動が正義感によるものとしたら、社会性や道徳による正義など、まったくあてにならないものだという、強烈なメッセージです。
 実はこれは仏教でも同じことを言っています。興福寺で有名な「阿修羅」は、なぜあの憂いに見た顔をしているのかがその答えです。もともと天界の正義の神であった「アスラ」には一人娘がいて、アスラはやがては武勇の神であるインドラに嫁がせたいと思っていましたが、インドラはアスラの娘を見た途端ほしくなり凌辱してしまったのです。これにはアスラは怒り狂いインドラに闘いを挑みました。力の神であるインドラにかなうわけもないのですが、負けても負けても何度でも闘いを挑み、その様子に天界の下した結論は、アスラを天界から追放し、魔界に堕とし阿修羅としたのです。どう見ても正義はアスラにあるのですが、天界は闘いを続けることが何よりも悪いこととしたのです。
 その後アスラの娘はインドラの正妻になり、幸せに暮らしていました。正義などすぐに逆転するものだということを、2500年も前のインド神話に書かれているのです。
 どんな人間が幸せになるかについて、遺伝子学者で有名な村上和夫さんは著書『生命の暗号』の中で、「力の強い人、」「競争に勝ち抜いていく人」ではなく、「譲る心を持った人」だとし、結局他人のためを第一に考える人が報われるとしています。遺伝子的にも、人の心は他人のために献身的に努力しているとき、理想的な状態で働き、良い遺伝子がONになるというのです。だから他人のために何かをすることほど、自分に役立つことはないし、自分の心を充実させたかったら、人の心を充実させてあげ、自分が成功したかったら、人の成功を心から望む、こういう生き方をすればいいと言っています。
 大阪万博にも出展した生物学の福岡伸一さんは、生命の動的平衡を主張され、利己的な縄張り意識の生命感から個と個を尊重する種に奉仕する生命観に成長したのが人であり、それは利他に通じるものとして、これこそが将来を生き抜く生命観としています。
 仏教でも幸せになることは、自身の欲望をかなえることではなく、人が幸せになることを願う利他の心としています。正義や主張ではなく、愛と献身の心こそが大事なのです。

合 掌

2025年9月1日 - ≪法話

9月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 一昨年より、浄土宗東京教区青年会の役員を拝命しまして、二年が経ちます。当月は、東京の青年会の毎年恒例の行事として写経会がございます。増上寺「慈雲閣」にて今年は13日15時より開催致します。役員として裏方のお手伝いをさせていただいておりまして、今回は、広報として多くの人が参加できるようLINEを利用したり、従来のお手紙をお送りしたりと努めさせていただいております。
 写経をしたことがありますか?最近では写経セットのようなものも販売され簡単に各家庭ででき、またお寺で写経をする行事が多くあり身近に感じるようになったと思います。初めての方でも、お手本となる経典を下地に写し紙などで、なぞりながら筆ペンで書くことができ、初心者でも綺麗に整った写経をすることができます。また、経典は文字数が程よい般若心経が多いかと思います。そして、今では写経といえば、心を落ち着かせるような精神修養的な要素が多いいように思います。
 この写すという行為だけを考えますと、大学時代では、図書館に籠って重要だと思うところを躍起になって本の断片をコピー機で複写していたことを思い出します。
 先日、大学の友人と話しましたら、講義終了時にスマホを片手にパシャパシャと写真をとって満足している学生が多いことを聞きました。黒板から写すという行為から、手軽に時間もかからずに複写できる、そんな時代になったのだとつくづく実感します。
 このようなコピー機などの道具が発展したことにより、多くの人に資料を提供できるようになったことは、革新的なことだとは思いますが、自身の時間を使い、一つ一つを丁寧に咀嚼しながら写すということから離れ、とりあえず保存しておこうという気持ちになり、本当に貴重なものが埋没し、そして何を撮ったのかさえも忘れているように感じます。
 お釈迦さまが説かれた八つの正しい実践(八正道)の一つとして、「正精進」という教えがあります。この正精進をわかりやすく言い換えますと、仏教の実践修行として「正しく努力」をすることなのだと思います。
では正しい努力とはなにか。それは、心を落ち着かせ様々な誘惑に負けず感情を落ち着かせ続ける努力なのだと思います。人間、もっといえば私自身、欲望や執着(貪欲とんよく)、怒りや憎しみ(瞋恚しんに)、愚かな行動をしてしまったり物事の区別ができない(愚痴ぐち)、このような三毒に常にさいなまれてしまっているのです。「時短、時短」と効率を重視し、楽して簡単に行うことは、決して悪いことではないのかもしれませんが、写すという行為の中に、心の平静さや努力をすることを忘れてしまっているように感じます。
 一つ一つ自身の字で時間をかけて写し、そして見返し、また写す。この単純な動作であっても、この動作を繰り返すことで本当に大事なものが自身のなかで見つけることができるのではないかと思います。
 写経という行をし、自身の心を穏やかにし、その先にある、誰かのことを願い思うという利他の精神を育むことがこの行に籠められているのだと思います。
 便利で簡単に写すことも大事なことかもしれませんが、便利な道具に頼らず身一つで一歩一歩染み渡るように写す時間、そして心穏やかに努めるそんな時間を作ることも大事なことだと私は思います。

合 掌

2025年8月1日 - ≪今月の言葉

手花火を命継ぐ如燃やすなり   石田派郷

 「花火は消えるから美しい

 なくなるけど またつくるんだよね」

 消えるものと残るもの、両方あるからいいんです。

 哀しさの先にある、光を見つめて。