住職の言葉
「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤
住職の言葉 - 一覧
2025年12月1日 - ≪今月の言葉≫
仏名会ともし火あふつ起居かな 蝶 夢
仏名会は年末に念仏を唱え懺悔をする会
僧侶は立ったり座ったりの礼拝行を行う
その時ろうそくの炎が風に揺られる
十八日の晩寺では務めます。是非ご一緒に。
2025年12月1日 - ≪法話≫
12月のお話
先月天皇陛下の長女愛子さまがラオスを公式訪問された。その時「パーシー・スクワン」と呼ぶ、白い糸を左手首に巻く儀式が行われた。幸せを祈る儀式で、身体の中の魂が身体から遊離すると不幸になることから、糸で結びつけるために行うものだそうです。結婚、誕生、旅立ちなどいろいろな場面で行われるそうで、私も以前ラオスに行ったときしていただいたような気がしてきました。
私が訪れたのは12月中旬だったのですが、どこにもクリスマスの宣伝がない、「静かなる仏教国」というのが印象でした。
日本では12月に入るともう、どこもかしこもクリスマスになりますが、仏教でも12月は大事な月で、お釈迦様がお悟りを開かれた記念すべき時、成道会を迎えます。この成道会(お悟りの日)は12月8日で、この日お釈迦様はブッダガヤのピッパラ樹(のちの菩提樹)の下で、明けの明星が輝くときお悟りを開かれたといわれています。
ここまでお釈迦様は王子の生活を捨て、苦行を繰り返し、中でも断食の苦行は、周りの誰もがこの人は死んだと思われたほどだったと言われています。しかし農夫の「琵琶の糸、きりりと締めればぶつりときれ、さりとてゆるめりゃべろんべろん」という歌に目を覚まし、中道を選ぶことを決め、真理に目覚めたと言われています。ここでいう中道とは真ん中ということではなく、その人にとってちょうどいいところ、いい加減なところをさします。この「いい加減」もアクセントで二つの意味があります、ひとつは適当にやること、もう一つは風呂の湯加減などのいい加減です。以前はお釈迦様の「いい加減」は、断然後者、風呂の湯加減の方だと思っていましたが、最近はどちらでもいいのかななどと思っています。お釈迦様の教えは決めつけることを避けているように思えます。龍樹の言葉「日照りの時の雨は善であり、洪水の時の雨が悪である」にもあるように、善悪も受け取る人、状況によって替わることを言います。真理がその人、その時、その場所で変わるのです。怠けている人に厳しく、一所懸命な人にはやさしくする教えが仏教だと思っています。
12月はとかく忙しい月です。忙しいとついつい人にも厳しくなりますが、そんな時こそ和顔愛語、笑顔に努めましょう。
アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズも言っています「人は幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」と、笑顔は単なる感情の結果ではなく、心を動かし、状況を変える力を持っている言われています。たとえ無理に笑ったとしても、その表情の変化が心に小さな明かりを灯す。やがてその心の明かりが周りの人の心も温めてゆく。「笑う」ということも最初の1歩なのです。その笑顔が次の笑顔を連れてくるのです。
合 掌
2025年11月5日 - ≪今月の言葉≫
人々を しぐれ宿は 寒くとも 松尾芭蕉
冬を感じさせる寒い中で句会の友の前で詠まれました。
寒さすらも楽しむという強い思いがこめられた句なのでしょう。
たとえ寒くても分かち合える友がいればその風情も楽しめる。
僕にはそのように詠まれている様に思います。
2025年11月1日 - ≪法話≫
11月のお話
ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。朝夕の気温が下がり、冬の訪れを感じさせる季節となってまいりました。
先月、浄土宗東京教区青年会の教団見学会で伊勢神宮を参拝して参りました。古くからの作法に従いまして、外宮から参拝し、内宮を参拝しました。現地の専属ガイドの方に同行していただきまして3時間以上かけて各社殿の説明をいただきました。その説明の中で各社殿は、20年経つと建て替える「式年遷宮」が行われるということ、また、釘を使わない木組みの技術により、古い建材を再利用し、別の神社に用いたり、倒壊したお社に優先的に回すという無駄をしないということに、驚きとともに神聖な雰囲気に圧倒されました。
また、伊勢神宮の財政が困窮し、建て替えが困難に陥った折に浄土宗を含めた僧・僧尼たちが全国を巡ってお布施を集め内宮にかかる宇治橋の維持や建て替え、式年遷宮までも再興することができたそうです。明治初年の神仏分離令が発令するまでは伊勢神宮の内外に天台宗、真言宗、禅宗系や浄土宗など多くの各宗寺院が60ケ寺以上あったそうです。このような神道と仏教の関係を垣間見る貴重なお話が聞けました。
一人では中々行けないお伊勢参りなど、このような貴重な体験ができた教団見学会を忙しい時期にも関わらず快く送り出していただきました住職と奥様に感謝申し上げます。また、ただ体験しただけでなく、その体験を共有し議論できた青年会員の仲間たちにも感謝申し上げます。
帰りの新幹線で以前、住職が阿含経の一説をお話しされたことを思い出しました。それは釈尊と弟子の阿難との会話で、阿難が「仏法を学び、そして共に仏の道を歩む。このような善き友がいるということは、悟りのどのくらいを達成したといえるでしょうか?」との問いに「善き友がいることは悟りの全てだよ」と答えられたお話です。
この「善き友」はカルヤーナ・ミトラというサンスクリット語を善き・友と訳されました。カルヤーナは「善き」、「真の」や「幸福の」という意味があり、善き友を言い換えますと幸福へ導くありがたい友ともいえ、また、仏道を歩む身を衣食住のさまざまな方面から守る友がいるのだと思います。そしてこのような善き友がいる世界がまさに仏のご縁の一端なのではないでしょうか。
一般家庭で育ち、お寺との繋がりが強かったわけではない私ですが、30歳過ぎてから師匠に出会い、出家し、多くの僧侶に出会い、そして支援していただけるお檀家様、いま正に仏道を歩まさせて頂けるこのご縁に感謝したいと思います。
住職が以前、東京教区青年会の事務局長を拝命しこの「善き友」の輪を築き上げてきたことが巡り巡って、そのバトンを受け取ることができることに改めて感謝し、若輩者の私ですが、より良き輪を繋げていけるよう精進したいと思います。
合 掌
2025年10月1日 - ≪今月の言葉≫
けふの月馬も夜道を好みけり 村上鬼城
今月は「お十夜法要」の月
お十夜は元々「十日夜」なる収穫祭
実りの秋、自然に、そして阿弥陀様に
感謝をささげ、生きている今を喜びましょう
2025年10月1日 - ≪法話≫
10月のお話
NHKテレビ朝の連ドラ「あんぱん」が終了しました。やなせたかしさん夫婦を描いた楽しいドラマで、見た方も多いと思います。脚本家の中園ミホさんが強調されたテーマが、やなせさんが本の題にもされた「正義について」でした。戦争を経験されたやなせさん夫婦にとって、戦前と戦後で逆転してしまった正義について苦しみ、その苦しみの中から生まれた逆転しない正義は、愛と献身だけという結論でした。人間の行動が正義感によるものとしたら、社会性や道徳による正義など、まったくあてにならないものだという、強烈なメッセージです。
実はこれは仏教でも同じことを言っています。興福寺で有名な「阿修羅」は、なぜあの憂いに見た顔をしているのかがその答えです。もともと天界の正義の神であった「アスラ」には一人娘がいて、アスラはやがては武勇の神であるインドラに嫁がせたいと思っていましたが、インドラはアスラの娘を見た途端ほしくなり凌辱してしまったのです。これにはアスラは怒り狂いインドラに闘いを挑みました。力の神であるインドラにかなうわけもないのですが、負けても負けても何度でも闘いを挑み、その様子に天界の下した結論は、アスラを天界から追放し、魔界に堕とし阿修羅としたのです。どう見ても正義はアスラにあるのですが、天界は闘いを続けることが何よりも悪いこととしたのです。
その後アスラの娘はインドラの正妻になり、幸せに暮らしていました。正義などすぐに逆転するものだということを、2500年も前のインド神話に書かれているのです。
どんな人間が幸せになるかについて、遺伝子学者で有名な村上和夫さんは著書『生命の暗号』の中で、「力の強い人、」「競争に勝ち抜いていく人」ではなく、「譲る心を持った人」だとし、結局他人のためを第一に考える人が報われるとしています。遺伝子的にも、人の心は他人のために献身的に努力しているとき、理想的な状態で働き、良い遺伝子がONになるというのです。だから他人のために何かをすることほど、自分に役立つことはないし、自分の心を充実させたかったら、人の心を充実させてあげ、自分が成功したかったら、人の成功を心から望む、こういう生き方をすればいいと言っています。
大阪万博にも出展した生物学の福岡伸一さんは、生命の動的平衡を主張され、利己的な縄張り意識の生命感から個と個を尊重する種に奉仕する生命観に成長したのが人であり、それは利他に通じるものとして、これこそが将来を生き抜く生命観としています。
仏教でも幸せになることは、自身の欲望をかなえることではなく、人が幸せになることを願う利他の心としています。正義や主張ではなく、愛と献身の心こそが大事なのです。
合 掌
