住職の言葉
「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤
住職の言葉 - 一覧
2025年10月1日 - ≪今月の言葉≫
けふの月馬も夜道を好みけり 村上鬼城
  今月は「お十夜法要」の月
   お十夜は元々「十日夜」なる収穫祭
   実りの秋、自然に、そして阿弥陀様に
   感謝をささげ、生きている今を喜びましょう
2025年10月1日 - ≪法話≫
10月のお話
 NHKテレビ朝の連ドラ「あんぱん」が終了しました。やなせたかしさん夫婦を描いた楽しいドラマで、見た方も多いと思います。脚本家の中園ミホさんが強調されたテーマが、やなせさんが本の題にもされた「正義について」でした。戦争を経験されたやなせさん夫婦にとって、戦前と戦後で逆転してしまった正義について苦しみ、その苦しみの中から生まれた逆転しない正義は、愛と献身だけという結論でした。人間の行動が正義感によるものとしたら、社会性や道徳による正義など、まったくあてにならないものだという、強烈なメッセージです。
  実はこれは仏教でも同じことを言っています。興福寺で有名な「阿修羅」は、なぜあの憂いに見た顔をしているのかがその答えです。もともと天界の正義の神であった「アスラ」には一人娘がいて、アスラはやがては武勇の神であるインドラに嫁がせたいと思っていましたが、インドラはアスラの娘を見た途端ほしくなり凌辱してしまったのです。これにはアスラは怒り狂いインドラに闘いを挑みました。力の神であるインドラにかなうわけもないのですが、負けても負けても何度でも闘いを挑み、その様子に天界の下した結論は、アスラを天界から追放し、魔界に堕とし阿修羅としたのです。どう見ても正義はアスラにあるのですが、天界は闘いを続けることが何よりも悪いこととしたのです。
  その後アスラの娘はインドラの正妻になり、幸せに暮らしていました。正義などすぐに逆転するものだということを、2500年も前のインド神話に書かれているのです。
  どんな人間が幸せになるかについて、遺伝子学者で有名な村上和夫さんは著書『生命の暗号』の中で、「力の強い人、」「競争に勝ち抜いていく人」ではなく、「譲る心を持った人」だとし、結局他人のためを第一に考える人が報われるとしています。遺伝子的にも、人の心は他人のために献身的に努力しているとき、理想的な状態で働き、良い遺伝子がONになるというのです。だから他人のために何かをすることほど、自分に役立つことはないし、自分の心を充実させたかったら、人の心を充実させてあげ、自分が成功したかったら、人の成功を心から望む、こういう生き方をすればいいと言っています。
  大阪万博にも出展した生物学の福岡伸一さんは、生命の動的平衡を主張され、利己的な縄張り意識の生命感から個と個を尊重する種に奉仕する生命観に成長したのが人であり、それは利他に通じるものとして、これこそが将来を生き抜く生命観としています。
  仏教でも幸せになることは、自身の欲望をかなえることではなく、人が幸せになることを願う利他の心としています。正義や主張ではなく、愛と献身の心こそが大事なのです。
合 掌
2025年9月1日 - ≪法話≫
9月のお話
 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
  一昨年より、浄土宗東京教区青年会の役員を拝命しまして、二年が経ちます。当月は、東京の青年会の毎年恒例の行事として写経会がございます。増上寺「慈雲閣」にて今年は13日15時より開催致します。役員として裏方のお手伝いをさせていただいておりまして、今回は、広報として多くの人が参加できるようLINEを利用したり、従来のお手紙をお送りしたりと努めさせていただいております。
  写経をしたことがありますか?最近では写経セットのようなものも販売され簡単に各家庭ででき、またお寺で写経をする行事が多くあり身近に感じるようになったと思います。初めての方でも、お手本となる経典を下地に写し紙などで、なぞりながら筆ペンで書くことができ、初心者でも綺麗に整った写経をすることができます。また、経典は文字数が程よい般若心経が多いかと思います。そして、今では写経といえば、心を落ち着かせるような精神修養的な要素が多いいように思います。
  この写すという行為だけを考えますと、大学時代では、図書館に籠って重要だと思うところを躍起になって本の断片をコピー機で複写していたことを思い出します。
  先日、大学の友人と話しましたら、講義終了時にスマホを片手にパシャパシャと写真をとって満足している学生が多いことを聞きました。黒板から写すという行為から、手軽に時間もかからずに複写できる、そんな時代になったのだとつくづく実感します。
  このようなコピー機などの道具が発展したことにより、多くの人に資料を提供できるようになったことは、革新的なことだとは思いますが、自身の時間を使い、一つ一つを丁寧に咀嚼しながら写すということから離れ、とりあえず保存しておこうという気持ちになり、本当に貴重なものが埋没し、そして何を撮ったのかさえも忘れているように感じます。
  お釈迦さまが説かれた八つの正しい実践(八正道)の一つとして、「正精進」という教えがあります。この正精進をわかりやすく言い換えますと、仏教の実践修行として「正しく努力」をすることなのだと思います。
 では正しい努力とはなにか。それは、心を落ち着かせ様々な誘惑に負けず感情を落ち着かせ続ける努力なのだと思います。人間、もっといえば私自身、欲望や執着(貪欲)、怒りや憎しみ(瞋恚)、愚かな行動をしてしまったり物事の区別ができない(愚痴)、このような三毒に常に苛まれてしまっているのです。「時短、時短」と効率を重視し、楽して簡単に行うことは、決して悪いことではないのかもしれませんが、写すという行為の中に、心の平静さや努力をすることを忘れてしまっているように感じます。
  一つ一つ自身の字で時間をかけて写し、そして見返し、また写す。この単純な動作であっても、この動作を繰り返すことで本当に大事なものが自身のなかで見つけることができるのではないかと思います。
  写経という行をし、自身の心を穏やかにし、その先にある、誰かのことを願い思うという利他の精神を育むことがこの行に籠められているのだと思います。
  便利で簡単に写すことも大事なことかもしれませんが、便利な道具に頼らず身一つで一歩一歩染み渡るように写す時間、そして心穏やかに努めるそんな時間を作ることも大事なことだと私は思います。
合 掌
2025年8月1日 - ≪今月の言葉≫
手花火を命継ぐ如燃やすなり 石田派郷
「花火は消えるから美しい
なくなるけど またつくるんだよね」
消えるものと残るもの、両方あるからいいんです。
哀しさの先にある、光を見つめて。
2025年8月1日 - ≪法話≫
8月のお話
 参議院選挙も終わり、梅雨も明け、とてつもない暑さがやってきました。この暑さですと、何をするにもつらくなり、長い文章など、読んでくれる人は少ないかもしれません。また若い人と私たちの感覚はもうすっかり変わってしまって、言い回しでもよく確認しないととんでもないことになるようです。
  例えば、「8時10分前に」という意味も、「8時9分くらい」と理解する若者が2割もいると聞き、驚いてしまいました。
  選挙も既成の党はまったく伸び悩んだのに比べ、参政党の「日本人ファースト」がうけて、一気に14議席を獲得する予想外のことが起きました。今まで選挙に行かなかった人びとの力だそうですが、言葉の怖さ、劇場型の怖さを知ることになりました。
  ある支持者の女性が、「日本人ファーストは当たり前で、これに異を称える人は日本人じゃない、日本から出てゆきなさい」という言葉に背筋が氷ました。こうした排外主義を正義感で言うようになると、差別がどんどん激しくなるように思います。
  キリストが『山上の垂訓』の中で、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人びとにもその通りにせよ」と命じ、この言葉を黄金律としています。これに対し孔子は『論語』で、一生涯これを行うべき名言を「恕」(じょ)だとし、恕とは「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」としています。これはキリスト教では銀の教訓としています。仏教ではこの世を「娑婆」(サハー)とし、意味は「忍土」としています。そう考えるとアジアの民はどうもキリスト教の銀の教訓の方を黄金律にしているようです。
  この世は満員電車に乗っているようなものと説くのが仏教です。
 みんながエゴを主張し始めるととんでもないことになり、余計に生きにくくなるとし、この娑婆世界では他人から受ける迷惑をじっと耐え忍んで生きるとしています。なぜなら自分自身もまた周りに迷惑をかけて生きているからです。だからこの世をサハー(娑婆)、忍土としているのです。
  お釈迦様は2500年も昔インドに生まれ、その当時インドの人々を支配していた人の一生を支配する六道輪廻からの解脱と、身分制度であるカーストを否定することをした方です。そのカースト制度は「人は生まれでその価値が決まる」としたものを「人は何をなしたか、その行為によって価値が決まる」と宣言しました。人の価値は、生まれ、人種、肌の色などで決まるのではないとしました。ステレオタイプで人を見ることなく、その人個人個人として人を見ることを、2500年も前に宣言しています。
  排外主義というのは、現代人の我々が、2500年も前の人から、「まだそんなことを言っているのか」と、言われてしまうような言葉であることを確認したいと思います。
合 掌
2025年7月1日 - ≪法話≫
7月のお話
 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
  昨年は、気象観測史上最も短い梅雨が終わり酷暑となりましたが、今年も六月中旬から35度超えをする地域もあり、近年のこの時期から猛暑となっているようです。線状降水帯のような身の危険さえ起こりうる気候変動もあるかとおもいます。どうぞお体を第一にご自愛くださいませ。
  今月の6日は三祖良忠上人の御命日でございます。三祖とは、元祖法然上人、二祖聖光上人、三祖良忠上人の良忠上人を指します。
  三祖良忠上人は、正治元年(1199)島根県那賀郡三隅町で誕生されまして、現在ではその邸跡に良忠寺があります。
  十一歳で『往生要集』の講説を傍聴し、十六歳で出家しました。十八歳の折に、『大聖竹林寺記』を閲覧し、この生涯で悟りを得る教え「聖道門」から、この生涯でお念仏を申し阿弥陀仏に極楽浄土へ救って頂く教え「浄土門」へと転換され、日々お念仏をお称えするようになりました。
  三十八歳の時、平家琵琶の開祖とされる生仏法師の勧めにより、久留米善導寺におられました二祖聖光上人と対面し、浄土宗の伝灯を余すところなく受け継がれました。
  二祖聖光上人は「然阿(良忠上人)は予が若くなれるなり。宗義に不審あらば然阿について決せよ」と門弟一同に告げるほど厚い信頼をよせ、良忠上人は浄土宗の神髄『末代念仏授手印』を理解したという、『領解末代念仏授手印』を書き示し聖光上人は良忠上人こそが、正しい後継者であると認可されました。
  以来、千葉や鎌倉を拠点として関東の布教に勤められ、二祖聖光上人の西国布教とあいまって、浄土宗が全国に広く行きわたることに大変な貢献をされました。
  三祖良忠上人のお言葉に
    五濁(ごじょく)の憂世(うきよ)に生まれしは 
    恨みかたがた多けれど 念仏往生と聞くときは
    かえりてうれしくなりにけり
 と歌われ、私は濁れに濁れたこの憂いの世に生まれ、それを恨む心が起こることもありますが、この人間の世に生まれたからこそ、極楽往生へと導かれる念仏のみ教えを聞くことができたのですから、かえって嬉しく思うのです。
  まさに今、戦争や天災などの時代の汚れ(劫濁)、誤った考え方による濁れ(見濁)、人間の心の中にある煩悩による濁れ(煩悩濁)、社会全体の心の濁れ(衆生濁)、自他の生命が軽んじられる汚れ(命濁)このような五濁の世に、お念仏の御教えにめぐり逢えた喜びと共に、これを伝え広める礎を築き上げた良忠上人に感謝の思いをこめ、ますますのお念仏の生活に私自身励んでまいりたいと思います。
  また、私が浄土宗僧侶となるために修行道場二期目で多くを学ばせて頂いた、鎌倉の良忠上人開山大本山光明寺、あらためて良忠上人を偲んでお念仏をしたいと思います。
合 掌
