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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2020年5月1日 - ≪法話

令和2年5月施餓鬼会法話

 緊急事態宣言が出てからも久しく時間がたちました。まだまだ新型コロナの勢いは収まらず、自宅待機が求められている状況です。

 自宅で家族が一緒にいる時間が増えたことで、家庭内のDVが増え深刻な状況になり、コロナ離婚などという言葉も聞かれるといいます。また、感染者に対する差別迫害、感染者に携わる医療従事者に対する差別など、あってはならないことが起きているとも聞きます。今我々は試されているのだということを知らなければなりません。

 「疾風に勁草を知る」という言葉があります。強い風が吹いた時に、根を張った強い草がわかるという意味です。中国の後漢書の中の言葉ですが、アテネオリンピックの金メダリスト室伏広治さんが好きな言葉として教えてもらいました。人は厳しい試練にあって初めて意志やその人の信念の強さがわかるということです。今私たちはとんでもない新型コロナという強い風の中で、生き抜く強い生命力と、どんな状況になっても持ち続けられるやさしさや思いやりを、正に試されているときなのだと思います。だからこそお念仏を思い出し、心にしっかりご先祖や、仏様を思ってお過ごしください。

 3月の末に歌手で女優の宮城まり子さんが亡くなりました。93歳でした。あの独特のしゃべり方とかわいらしい声を65歳以上の方なら覚えている方も多いでしょう。宮城さんがからだの不自由な子供たちの養護施設「ねむの木学園」を設立したのは、障害者というだけで教育も受けられない当時の現実があったからで、「泣いている子にやさしくしようね」という思いで学園を作ったといいます。宮城さんが子供たちに言い続けた言葉は「やさしくね、やさしくね、やさしいことは強いのよ」だったそうです。そんな宮城さんの教育理念はつよいもので、松下政経塾に行ったとき食堂で、「この塾は指導者を育てるということで創られた塾ですよね、その塾でプラスチックの食器で食事をさせているようでは、たいした指導者は生まれませんね。私のねむの木学園はみんな障害を持った子供たちの学校です。手が不自由、足が不自由。それでもすべて陶器を使って食事をしています」。

 さらに宮城さんは続けて、「陶器は落としたら割れます。だからしっかり持たせなきゃならない。これが教育です」。この一言ですっと帰られたと、当時の政経塾塾頭の上甲晃さんが語っていました。宮城さんの信念、そしてやさしさは超一流でした。

 さて、お施餓鬼のいわれについてお話しします。

 お施餓鬼法要は、字のごとく「餓鬼に施しをする」法要です。では『餓鬼』って何でしょう?昔はしつこい子供のことを、「このガキ」なんて言いました。でもこれは蔑称です。子供は「もっと、もっと」が終わらないのでそうなりました。つまり、「餓鬼」とは、欲望が止まらない状態のことを言います。海水を飲むとさらにのどが渇くことにたとえられます。インドの古い宗教では、六道輪廻として、人間の上に天をおき、人間より下に修羅、畜生、餓鬼、地獄の4つをおいて、生まれ変わり死に替わり、6つの世界を回っていると説いていました。つまり地獄のすぐ上の世界、それが餓鬼の世界です。欲望をかなえることしか考えられない生き方、つねに餓えている世界、それが餓鬼の世界です。仏教では生きながらそうなっている人がいるとも説きます。

 経典ではお釈迦様のお弟子の中でも特にまじめな、お釈迦様の話を全て聞き覚えていた弟子の阿難尊者が、ある日餓鬼に遭遇し、「おまえはあと三日で死んで、餓鬼道に落ちるよ」と言われてしまい、お釈迦様の元に「死にたくない、なんとかして」と駆け込み、お釈迦様が阿難尊者に説いた教えがお施餓鬼法要です。これによって阿難尊者はいのちを永らえ、また阿難尊者に遭遇した餓鬼も餓鬼道を脱したと言われています。

 お釈迦様は何を説いたのでしょうか?

 餓鬼に施しなさいと説いたのです。餓鬼を許しなさい。餓鬼を認めてあげなさい。助けてあげなさい。と。そしてその心が阿難尊者の延命長寿につながったのです。

 ではなぜ阿難尊者は餓鬼になると言われてしまったのでしょうか?

 経典では、阿難尊者がお釈迦様の話に遅れそうになり、道ばたで倒れている病人や、けが人を無視し、助けることをしなかったからだとしています。阿難さんが人間のやさしさを忘れ、自分のことしか考えられなくなったとき、それは餓鬼になったと同じだと仏教は言っているのだと思います。

 人がやさしさを忘れず、どんな人でも認めてあげる心を持つことを確認する法要が施餓鬼法要です。その意味で、今の状況下では絶対に必要な法要ですので、しっかりと勤めたいと思っています。

 この施餓鬼の心は、実は仏さまの大慈悲の心と同じものです。だから、私たちがおこなう施餓鬼の心の実践は、仏さまと同じことをしていることを意味し、ご先祖が一番喜んでくれる供養だと言われています。

 皆さんも家の仏壇の前で、お念仏をお唱えして、一緒の気持ちになって頂きたいと思います。きっと心がすっきりするはずです。

合  掌

2020年5月1日 - ≪今月の言葉

夏籠や畳にこぼすひとりごと  日野草城

「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉があります。
強い風が吹いて、倒れない強い草がわかるということです。
それは、新型コロナという強い風の中で、生き抜く力生命力であり、
どんなときにもかわらない思いやり、やさしい心であるはずです。

2020年4月1日 - ≪今月の言葉

ぬかづけばわれも善女や仏生会  杉田久女

四月八日はお釈迦様のお誕生日です。降誕会、仏生会ともいわれ、
小さなお釈迦様のお像に甘茶をかけてお祝いしてきました。
今年は新型コロナの蔓延で、集うことはできませんが、
こんな時だからこそ、仏さまにお参りして心を支えてもらいましょう。

2020年3月20日 - ≪法話

春彼岸会 法話 動画

2020年3月20日 - ≪今月の言葉

毎年よ 彼岸の入りに寒いのは  子規

子規が二十七歳のときに聞いた、四十九歳の母の独り言だそうですが、

今では桜の花がほころび始める、そんな温かな日々が続いています。

梅に対し散る見事さをいう桜を一茶は、「死に支度致せ致せと咲にけり」と詠んでいます。

桜に陽気にうかれる現代とはだいぶ違うようですね。

2020年3月20日 - ≪法話

令和2年3月春彼岸会法話

 新型コロナウイルスの蔓延という、大変な状況になりました。人類の歴史は感染病との戦いの歴史といわれているそうですが、そんなことを身をもって知ることになるなんて、今年のお正月には想像すらできませんでした。本当に何が起こるかわからないのが人生ですね。登り坂、下り坂、まさかの坂といいますが、正にまさかの坂に落ちてしまいました。

 これもあれもしてはいけないと言われると、どうしても心が閉じこもりがちになりますが、目に見えないウイルスという敵と立ち向かうには、私たちが力をつけるしかありません。免疫力を上げる一番は、おいしいものを食べて、よく寝ることですが、もう一つ、笑顔を作り、楽しい生活を送ること、心にストレスをためず、平安な状態、イライラしないことが大事なようです。

 この間、横浜市赤十字病院の救急救命士の鈴木直子さんのお話を伺いました。川や海でおぼれたとき、命が助かる確率の一番は、「助けて」と手を上げて叫ぶことではなく、ただ「浮いて待て」だそうです。人間の身体は、どんな人でも2%は必ず浮くのだそうです。口と鼻だけでも出して浮いていれば、必ず救助の手がさしのべられる。そのとき浮力に成るものがあればおなかのところで抱いていればいいとのことでした。

 この世もあの世も、自分の力に過信して、自分で何とかできるなどと考えず、自分のわずかにできることをして、あとは唯々他力を信じることが救われる道なんだと、教わった気がしました。

 こんな時代です。楽しく暮らせと言っても、無理と言われてしまいそうですが、「口角をちょっと上げるだけでも、脳は活性化する」と言われています。「腹式呼吸をやると、副交感神経が働いて、イライラやストレスを和らげる」と、五木寛之さんが書いていました。そして、呼吸という字は「呼」ははく息、「吸」はすう息です。「出息入息」という言葉もあります。よく体操などで「吸ってから吐いて」と言いますが、呼吸法としてはあれは間違いで、息は長く吐いて、一気に吸う。それも口で吸うのはだめで、あくまでも鼻から吸うのだそうです。

 これはお念仏と一緒です。何回も続けてお念仏を唱えて、もうできなくなったとき一気に吸う。これの繰り返しです。私は毎朝、何回連続で唱えられるかで、その日の体調をはかっています。こうしてると楽しくなります。

 さて、私ももう65歳ですが、「歳をとる」を辞書でしらべると「実り」と出てきました。一年長く生きられたことは、それだけ実りを手にすることができたことです。だから、「歳をとった」のではなく、「歳をとることができてよかった」と思うと、自分自身も笑顔になり、脳も少しは活性化されるのではないでしょうか。

 さて最後に、ご本尊へのお参りの仕方について書きます。

 よく仏様にお参りをするときに、何を祈りますかときくと、たいてい○○がかないますようになどと、お願いが出てきます。でもこのお願いは仏様が好んでくれるお願いか、困るお願いかを考える必要があり、たいてい困るお願いが多いことから、昔から「仏様にはお願い事はしてはいけない」と言われるようになりました。つまり私利私欲、自分勝手なお願いは仏さまが困ってしまうからなのです。そこで仏様にしていいお願い事を整理しておく必要があります。私たちは仏様にお祈りをするときは、一に今生きていることに感謝を捧げ、次にしていいお願いは、自分ではなく他人の幸福です。人の幸せを祈ることだとしています。そうしましたら、この間ラジオで毒蝮三太夫さんがある神主さんの話として、お祈りの三つめに、自分の将来を想像し、そこに至る自分の努力を誓うことをあげていました。「感謝と利他と誓い」これはセットかと思いいいお話だと思いました。

 この時代を生き抜く力として、何か参考になればと思います。

 お念仏をしていると必ずご先祖や仏様が寄り添い守ってくれます。お念仏を力として、この不安で困難で今を過ごしましょう。

合  掌