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住職の言葉

「今月の言葉」や「法話」一覧ページです。
住職:長谷川岱潤

住職の言葉 - 一覧


2021年6月1日 - ≪法話

6月のお話

 やっと高齢者へのワクチンの接種が始まりました。しかし自治体によってその早さはさまざまで、ここ品川区はかなり遅く、この地区の接種会場はあまりにも貧相で、75歳以上の方でも近くの会場での予約は第1回目が8月でもとれないお粗末さです。役人に緊急性や緊張度が全く感じ取れないのが残念です。
 高齢者が予約で問題になっているのが、インターネットによるものです。電話は全くつながらず、インターネット環境にない方には絶望的になっている方が多いと聴きます。お子さんなどがいる方はお子さんが来たときにお願いしているようですが、そうでない方も多いことでしょう。ある役人は、災害時の避難情報もネットで流すと言い、現代はインターネット環境の常備は必然とテレビで豪語していましたが、こういう役人はマイノリティーの存在は無視していいと思っているのでしょうか。悲しい気分になりました。
 以前マレーシアに行ったとき、6月18日は観音様の日ですよと教わりました。18日は元々観音様の縁日と言われますが、マレーシアでは6月を特別に限定していたようです。戒法寺の行事の日がみな18日となっているのは、戒法寺には戦前まで春日局奉納の観音様があったからと言われています。残念ながら空襲で燃えてしまったようですが、この地域が5月の東京空襲で全滅したにもかかわらず、ご本尊さまの防空壕に落ちた焼夷弾だけが火を噴かず、奇跡的にご本尊さまが無事だったことを尊ぶできでしょう。
 観音様は私たちが「助けて」と声をあげたとき、またたとえ声にならなくても心の中で叫んだときに、助けに来てくれる方です。それは奥さんであったり、夫であったり、子どもであったり、知り合いであったり、または先だたれた親であったり、極楽にいる方であるかもしれません。必ず自分を支えてくれる存在がいることを思い起こさせてくれる存在、それが観音様です。法然上人の弟子親鸞聖人はその日記の中で妻を観音様と呼び、妻は娘への手紙の中で「あなたの父は観音様」だと言いました。当人を前にしたときではなく、陰でお互いに観音様だと言える夫婦はすてきだと思います。自分を支えてくれる人がいること、その方がたとえ亡くなっていても自分の力になってくれると信じられること、その力が今私たちには必要です。
 ご本堂では観音様は阿弥陀様の隣にいます。観音様に来てもらいたいとき、阿弥陀様にお願いしましょう。その言葉が『南無阿弥陀仏』です。

合 掌

2021年5月1日 - ≪法話

5月のお話

今年は毎年五月の連休の時盛りになる、牡丹も藤の花ももう終わってしまいました。温暖化の勢いには怖いものを感じます。
変異種の勢いが盛んになり、三度目の緊急事態宣言も発令されました。18日のお施餓鬼会のご案内をさんざん迷ったあげく、結局昨年同様お檀家さんに出席頂かないで行うことになりました。何とも寂しくやるせない思いで一杯ですが、ご家族やご本人の不安を思うと、致し方ないことかと思っています。
私たち浄土宗では三つの大事にしているお経典があります。『無量壽経』、『観無量壽経』、『阿弥陀経』です。この中『阿弥陀経』は一番短く十分程度で読めるお経なので、お葬儀の時などには必ず読み上げるお経です。そのお経の解説としてよくお話する言葉が、「今現在説法」と「倶会一処」です。『阿弥陀経』は極楽世界の様子を説明しているお経です。その一番が今現在阿弥陀様が説法しているところということと、必ずまた会える場所という言葉です。今正に阿弥陀様がいてくださり、また先に亡くなった方もこれから逝く人も必ずまた会える場所だと言われるとうれしくなります。
また「極楽」という理想世界はどういうところなのか、『阿弥陀経』では「池中蓮華大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」と書かれています。池の中に車輪の大きさの蓮の花が咲いていて、青い蓮は青い光を放ち、黄色の蓮は黄色の光を、赤い蓮は赤い光、白い蓮は白い光を放っている。いわばあたりまえのことが丁寧に書かれています。でもこのあたりまえが大事なのです。仏さまが理想とする世界は、青や黄や赤や白のものが黄金の光を放っているところではないということです。それぞれが自分自身の色の光を放つところ、それこそが理想だと言っています。漢文にはありませんがインドの原典では、混ざった色の花は混ざった色の光を放す(雑色雑光)とまで言っています。
また極楽には「「共命鳥」という身体は一つでありながら頭と心は二つある奇鳥がいるとしています。実はこの鳥には逸話があり、極楽に来る前この鳥は、二つの頭で鳴き声の良さを競っていました。そして片方がもう片方の声に嫉妬し、毒を飲ませてしまったのです。当然胴体は一つですから二つとも死んでしまいます。そこで次に生まれたとき、相手を活かすことが自分を活かすことだと悟り幸せになり、極楽の鳥になったそうです。
理想の世界を想定することはとても大事です。そしてその理想が安心できる理想なら希望がもてるのではないでしょうか。

合 掌

2021年5月1日 - ≪今月の言葉

蟷螂の草につまづく施餓鬼かな  岸本尚毅

今年は牡丹も藤も終わってしまいました。
草花の早さは異常で、温暖化の勢いを感じます。
自然を変えてしまった人間の責任は
あまりにも大きいようです。

2021年4月1日 - ≪今月の言葉

五六人子供が居りて花まつり  白石峰子

今は五、六人が集まっても「離れて、離れて」の声が、
聞こえてきそうですが、以前は、三十人も集まって、
花まつり子ども会を開いていたこともありました。
いつかまた、そんな日が戻ってきますように。

2021年4月1日 - ≪法話

4月のお話

今月もホームページをご覧頂きありがとうございます。
 春の彼岸も終わり、桜も散ってしまいました。気がつけばもう4月。年度改まり、学校では新学期を迎えます。
先月2件続けて、「当主が亡くなりお骨にしましたので、納骨をお願いします。」という電話が入りました。「ご葬儀はどうしたのですか?」と伺うと、「火葬儀で済ませました」とのこと。「いや、火葬したのはわかりましたが、ご葬儀は?」と聴いても、「だから火葬儀をしました」とのこと。相手は十代、二十代の若者ではない、八十を過ぎたご婦人と五十を過ぎた社会人です。返す言葉を失いながらも、「とにかくお寺で、お戒名をおつけする葬儀をしましょう。それからでないとお寺のお墓には納骨ができませんよ」と言い、お寺に来て頂くことにした。
最近葬儀社も、直葬のみを行う会社が増えてきて、電話帳などで探すと、お寺に連絡すらさせない葬儀社があるようです。火葬はあくまで唯々火葬で葬儀ではありません。ペットはそうしているかもしれないけれど、人間は葬送の儀を行って送ってあげたいと思います。業者が何と言おうと、直葬はブームに過ぎません。そのときはお金を使わずに済むかもしれませんが、後々の後悔と呵責の念に耐えられなくなる人が多いと聴きます。自分がどうなろうがかまわないと思っても、残された人が後々どういう思いをするかを考えて、逝く人もつまらない遺言を残さない方がいいと思います。葬送の儀とは、遺族が極楽へのおくりびとになる厳粛な儀式です。先祖が長い歴史続けてきたことを、百年にも満たない人間が決めるのはおこがましすぎるように感じます。
驚いたニュースがあります。今年の漫画大賞に『葬送のフリーレン』という作品が選ばれたそうです。多くの人が「告別式」などと言い、「葬送」と言う言葉を使わない現在、漫画の世界で題目になるとは驚きです。今の社会何でも漫画が先導するのでしょうか。
やっと緊急事態宣言は解除となりましたが、コロナの蔓延は止まりそうにありません。季節とは裏腹に気が晴れることがない毎日ですが、友人が以前こんな話をしてくれました。夜寝る前「あなたが今日一日の内でよかったことを思い出してください。」と言うのです。みんながよかった探しをします。雨がやんでくれてよかった。苺が食べられてよかったなどみんな違っていいのです。実は誰でもが答えを導き出すとき、幸せな顔になるというのです。どうぞその顔で眠りにつきますように。

合 掌

2021年3月1日 - ≪法話

3月のお話

春の兆しが強く感じられるようになり、啓蟄(けいちつ)、春分へと自然は目覚め始める季節となりました。

今年は東日本大震災から10年目を迎えますが、先日も大きな余震があったように、まだまだ地震の恐怖も続いています。

新型コロナ感染病があることで、花粉症や普通の風邪であっても人前で咳やくしゃみをすることがはばかられる毎日ですが、野口整体の創始者野口晴哉氏は著書で、「風邪や下痢は体の大掃除、風邪もひけない、下痢もできないような体になってはおしまいだ、ゴホンといったら喜べ」と言っています。五木寛之氏は「病気は治(なお)すものではなく、治(おさ)めるものだ」とも言っています。五木氏はまた「健康方はまちがいのもとで、人間はみんな死のキャリア」とも言っています。

風邪だって堂々と生きようじゃありませんか、死なない人間はいません。いかに余裕を持って死を見つめることができ、今を楽しく充実して暮らすかが問題ということでしょう。

昔西行法師が晩年「願わくば花の下にて我死なん それ如月の望月のころ」と詠み、釈尊の涅槃会2月15日に吉野の桜の満開の下で死にたいなあと願い、2月14日に亡くなられました。正に願いが叶ったわけですが、この2月15日は旧暦ですので、今年ですと3月27日になります。

お寺では毎年、涅槃図を2月の一ヶ月間掛けておりますが、今年は3月も掛けることにしました。サーラの樹の林の中で頭北面西に横たわる釈尊の涅槃のお姿の図「涅槃図の余白なきまで嘆き合う」田崎腸恵氏の句があります。余白なきまで嘆いている仏弟子、さまざまな人種の人々、動物、鳥類、昆虫であふれている図です。あらゆる生き物が皆平等のいのちであることを示している仏陀のメッセージです。最近いのちの格付けがなされ、「役に立ついのちとそうでないいのち」といういのちの分断が始まっています。価値でものを見る眼を肉眼といい、意味でものを見る眼を仏眼(智惠のまなこ)と仏陀は示しています。

コロナを正しく怖がる眼、怖がらなさすぎることもなく、怖がりすぎることもないよう、しっかり冷静に人間にとって何が大切かを判断しながら生活したいと思います。

合 掌