7月のお話
ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
昨年は、気象観測史上最も短い梅雨が終わり酷暑となりましたが、今年も六月中旬から35度超えをする地域もあり、近年のこの時期から猛暑となっているようです。線状降水帯のような身の危険さえ起こりうる気候変動もあるかとおもいます。どうぞお体を第一にご自愛くださいませ。
今月の6日は三祖良忠上人の御命日でございます。三祖とは、元祖法然上人、二祖聖光上人、三祖良忠上人の良忠上人を指します。
三祖良忠上人は、正治元年(1199)島根県那賀郡三隅町で誕生されまして、現在ではその邸跡に良忠寺があります。
十一歳で『往生要集』の講説を傍聴し、十六歳で出家しました。十八歳の折に、『大聖竹林寺記』を閲覧し、この生涯で悟りを得る教え「聖道門」から、この生涯でお念仏を申し阿弥陀仏に極楽浄土へ救って頂く教え「浄土門」へと転換され、日々お念仏をお称えするようになりました。
三十八歳の時、平家琵琶の開祖とされる生仏法師の勧めにより、久留米善導寺におられました二祖聖光上人と対面し、浄土宗の伝灯を余すところなく受け継がれました。
二祖聖光上人は「然阿(良忠上人)は予が若くなれるなり。宗義に不審あらば然阿について決せよ」と門弟一同に告げるほど厚い信頼をよせ、良忠上人は浄土宗の神髄『末代念仏授手印』を理解したという、『領解末代念仏授手印』を書き示し聖光上人は良忠上人こそが、正しい後継者であると認可されました。
以来、千葉や鎌倉を拠点として関東の布教に勤められ、二祖聖光上人の西国布教とあいまって、浄土宗が全国に広く行きわたることに大変な貢献をされました。
三祖良忠上人のお言葉に
五濁(ごじょく)の憂世(うきよ)に生まれしは
恨みかたがた多けれど 念仏往生と聞くときは
かえりてうれしくなりにけり
と歌われ、私は濁れに濁れたこの憂いの世に生まれ、それを恨む心が起こることもありますが、この人間の世に生まれたからこそ、極楽往生へと導かれる念仏のみ教えを聞くことができたのですから、かえって嬉しく思うのです。
まさに今、戦争や天災などの時代の汚れ(劫濁)、誤った考え方による濁れ(見濁)、人間の心の中にある煩悩による濁れ(煩悩濁)、社会全体の心の濁れ(衆生濁)、自他の生命が軽んじられる汚れ(命濁)このような五濁の世に、お念仏の御教えにめぐり逢えた喜びと共に、これを伝え広める礎を築き上げた良忠上人に感謝の思いをこめ、ますますのお念仏の生活に私自身励んでまいりたいと思います。
また、私が浄土宗僧侶となるために修行道場二期目で多くを学ばせて頂いた、鎌倉の良忠上人開山大本山光明寺、あらためて良忠上人を偲んでお念仏をしたいと思います。
合 掌