6月のお話
ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
先月18日は、戒法寺の400年祭の締めくくりとなる施餓鬼大法要をお勤めできましたことを大変感謝申し上げます。5月にしては観測史上まれに見る30℃越え、翌週には15℃と、寒暖差の大きい月となりました。10℃以上の気温差となると心も身体もついていくのがしんどい月となったのではないでしょうか。
先月の暑さにより一足先に衣替えをされた方も多かったように思えます。私たち僧侶も六月一日からは夏物の法衣を身に着けます。もちろん、衣替えは季節の移り変わりに順応するために行われ、これからむかえる暑さに備えて服を新調したりクリーニングに出した綺麗な服を取り出したりと、季節の移り変わりを感じるとともに、気持ちも心機一転、新たなこころになるのではないでしょうか。
さて、この六月についていろいろと調べてみますと、実は、6月10日は 「時の記念日」だそうです。
これは、1920年に制定され、時間を尊重し生活の改善と合理化を提唱した記念日となり、古くは、600年代後半の天智天皇の時代に唐から伝承した水時計を作らせ、太鼓や鐘などを鳴らして時を知らせたのが6月10日であることからこの日に合わせ記念日とされたようです。
「時間を大切に!合理的に!」と考えてしまいますと、ついつい「ながら作業」をしてしまっているように思います。最近ではこのながら作業の代表格にスマホが挙げれると思います。腕時計の代わりや通信手段としてだけではなく、移動中の電車のなかでも手軽に利用でき様々な情報を知ることができるスマホ。これは貴重な時間を有効利用する手段になっているのでしょうか。なにやら私は時間を潰すために使ってしまっているように感じます。時間を大切にという言葉をもういちど考えて私自身の行動を振り返ってみますと、大切な時間を浪費してスマホを見ていたのではないかと思います。
時の記念日は再び戻らない時間を大切にし、時間励行を呼びかけることが主旨なのだと思いますが、この主旨を身近な私たちの行動という意味だけに留まらず、時は「いのちの移り行き」と捉えると本当の意味での時間を大切にするということが見えてくるのではないでしょうか。
それは、季節に合わせ衣替えをするように、日々刻々と移り行く自然環境の中にいる私が手元だけに目を奪われず、視野を広げ周りを見渡してみると、より有意義な時間になるのではないかと思います。
善導大師の「日中無常偈」を詠み返してみますと
人生不精進 人、生けるとき、精進ならざれば
喩若樹無根 たとへば樹の根なきがごとし
採華置日中 華を採って日中に置かんに
能得幾時鮮 よくいくばくの時か鮮やかなることを得ん
人命亦如是 人の命もまたまたかくのごとし
無常須臾間 無常 須臾(しゅゆ)の間なり
勧諸行道衆 もろもろの行道衆を勧む
勤修乃至真 勤修してすなはち真に至りたまへ
人は生きている時に精進しなければ、たとえてみるならば根のない花がいかに美しく咲いたとしても、時間がたつにしぼんでしまう。人の命も同じで、無常のほんのつかの間のもの。もろもろの行道たちに勤める。勤修して速やかに真にいたりたまえ。
間違いなく私は時間を浪費してしまっているのだと思います。今一度、時間の大切さを自覚しより一層励んでいきたいと思います。
合 掌