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8月のお話

 参議院選挙も終わり、梅雨も明け、とてつもない暑さがやってきました。この暑さですと、何をするにもつらくなり、長い文章など、読んでくれる人は少ないかもしれません。また若い人と私たちの感覚はもうすっかり変わってしまって、言い回しでもよく確認しないととんでもないことになるようです。
 例えば、「8時10分前に」という意味も、「8時9分くらい」と理解する若者が2割もいると聞き、驚いてしまいました。
 選挙も既成の党はまったく伸び悩んだのに比べ、参政党の「日本人ファースト」がうけて、一気に14議席を獲得する予想外のことが起きました。今まで選挙に行かなかった人びとの力だそうですが、言葉の怖さ、劇場型の怖さを知ることになりました。
 ある支持者の女性が、「日本人ファーストは当たり前で、これに異を称える人は日本人じゃない、日本から出てゆきなさい」という言葉に背筋が氷ました。こうした排外主義を正義感で言うようになると、差別がどんどん激しくなるように思います。
 キリストが『山上の垂訓』の中で、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人びとにもその通りにせよ」と命じ、この言葉を黄金律としています。これに対し孔子は『論語』で、一生涯これを行うべき名言を「恕」(じょ)だとし、恕とは「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」としています。これはキリスト教では銀の教訓としています。仏教ではこの世を「娑婆」(サハー)とし、意味は「忍土」としています。そう考えるとアジアの民はどうもキリスト教の銀の教訓の方を黄金律にしているようです。
 この世は満員電車に乗っているようなものと説くのが仏教です。
みんながエゴを主張し始めるととんでもないことになり、余計に生きにくくなるとし、この娑婆世界では他人から受ける迷惑をじっと耐え忍んで生きるとしています。なぜなら自分自身もまた周りに迷惑をかけて生きているからです。だからこの世をサハー(娑婆)、忍土としているのです。
 お釈迦様は2500年も昔インドに生まれ、その当時インドの人々を支配していた人の一生を支配する六道輪廻からの解脱と、身分制度であるカーストを否定することをした方です。そのカースト制度は「人は生まれでその価値が決まる」としたものを「人は何をなしたか、その行為によって価値が決まる」と宣言しました。人の価値は、生まれ、人種、肌の色などで決まるのではないとしました。ステレオタイプで人を見ることなく、その人個人個人として人を見ることを、2500年も前に宣言しています。
 排外主義というのは、現代人の我々が、2500年も前の人から、「まだそんなことを言っているのか」と、言われてしまうような言葉であることを確認したいと思います。

合 掌