9月のお話
ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
一昨年より、浄土宗東京教区青年会の役員を拝命しまして、二年が経ちます。当月は、東京の青年会の毎年恒例の行事として写経会がございます。増上寺「慈雲閣」にて今年は13日15時より開催致します。役員として裏方のお手伝いをさせていただいておりまして、今回は、広報として多くの人が参加できるようLINEを利用したり、従来のお手紙をお送りしたりと努めさせていただいております。
写経をしたことがありますか?最近では写経セットのようなものも販売され簡単に各家庭ででき、またお寺で写経をする行事が多くあり身近に感じるようになったと思います。初めての方でも、お手本となる経典を下地に写し紙などで、なぞりながら筆ペンで書くことができ、初心者でも綺麗に整った写経をすることができます。また、経典は文字数が程よい般若心経が多いかと思います。そして、今では写経といえば、心を落ち着かせるような精神修養的な要素が多いいように思います。
この写すという行為だけを考えますと、大学時代では、図書館に籠って重要だと思うところを躍起になって本の断片をコピー機で複写していたことを思い出します。
先日、大学の友人と話しましたら、講義終了時にスマホを片手にパシャパシャと写真をとって満足している学生が多いことを聞きました。黒板から写すという行為から、手軽に時間もかからずに複写できる、そんな時代になったのだとつくづく実感します。
このようなコピー機などの道具が発展したことにより、多くの人に資料を提供できるようになったことは、革新的なことだとは思いますが、自身の時間を使い、一つ一つを丁寧に咀嚼しながら写すということから離れ、とりあえず保存しておこうという気持ちになり、本当に貴重なものが埋没し、そして何を撮ったのかさえも忘れているように感じます。
お釈迦さまが説かれた八つの正しい実践(八正道)の一つとして、「正精進」という教えがあります。この正精進をわかりやすく言い換えますと、仏教の実践修行として「正しく努力」をすることなのだと思います。
では正しい努力とはなにか。それは、心を落ち着かせ様々な誘惑に負けず感情を落ち着かせ続ける努力なのだと思います。人間、もっといえば私自身、欲望や執着(貪欲)、怒りや憎しみ(瞋恚)、愚かな行動をしてしまったり物事の区別ができない(愚痴)、このような三毒に常に苛まれてしまっているのです。「時短、時短」と効率を重視し、楽して簡単に行うことは、決して悪いことではないのかもしれませんが、写すという行為の中に、心の平静さや努力をすることを忘れてしまっているように感じます。
一つ一つ自身の字で時間をかけて写し、そして見返し、また写す。この単純な動作であっても、この動作を繰り返すことで本当に大事なものが自身のなかで見つけることができるのではないかと思います。
写経という行をし、自身の心を穏やかにし、その先にある、誰かのことを願い思うという利他の精神を育むことがこの行に籠められているのだと思います。
便利で簡単に写すことも大事なことかもしれませんが、便利な道具に頼らず身一つで一歩一歩染み渡るように写す時間、そして心穏やかに努めるそんな時間を作ることも大事なことだと私は思います。
合 掌
