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4月のお話

 寺の門前の三月の掲示板に「すぐに役に立つことは すぐに役に立たなくなります」という灘高校の以前の校訓を書いたところ、お檀家さんから「私は”後でと”言われることが一番嫌いで、すぐにやってくれないと頭に来る方なのですが、やっぱり駄目ですかね」と言われ、「いやいや、あなたの気持ちに私も同感ですが、あの言葉はそういう意味ではなく、受験高校として名高い灘高校として、いわゆる詰め込み式の受験勉強は駄目ですよという意味だと思いますよ」とお答えしました。
 昔「手間を省くと、手間が増える」という言葉に苦笑いしたことを思い出し、灘高校のこんな言葉を書いてしまいました。現代社会の目標が、「早くて、便利で、快適の追求」と信じ込んで進んできた我々ですが、人間が幸せになることって、本当にそれでよかったのかなと、少し疑問に感じ始めています。
 最近大学の先生と話をすることが多いのですが、最近の学生のレポートにみんな頭を悩ましていました。何人もの学生が内容は完ぺきなのですが、全く同じような文章のものを送ってくるそうです。確信は持てなくてもこれは生成AIを使ってるなと推測して落第点ぎりぎりの評価にし、苦情があれば申し出てくださいと言っても、誰も出てこなかったそうです。
 楽しく生きることが人生最高の価値としている人が多いようですが、確かに楽という字は「らく」とも読めますから、たのしいとらくするは今や同義語になっているのかもしれません。しかし本来は全く違う意味です。らくして楽しければ最高だと言うかもしれませんが、らくして楽しいのはその場限りの、あまりに刹那的と思ってしまいます。感動が続く喜びは味わえないのではないでしょうか。仏教ではそうした楽しみを「欲」として、断ぜよと言います。その欲は決して満足することがないからです。
 インドの昔話で、牛を99頭飼っている裕福な人がいました。彼はあと1頭で100頭になると思うと、ふるさとに牛を1頭飼っている友人を思い出し、ぼろぼろの服に着替え、その男のもとを訪ねます。「いいなおまえは、俺はもう生きてゆけないよ」と言うと、友人は「悪かった何も知らないで、牛が1頭いるからこれを連れてゆけ」と言って牛を差し出します。金持ちの男は牛を連れ帰り大喜びで寝たという話です。この後この話は「どちらの男が幸せでしょう?」で終わっています。どう思いますか?
 金持ちの男は翌朝きっとこう言うでしょう。「次は200頭だ」。
一方牛を差し出した男は、友人の手助けができたことで、ずっと心晴れやかに暮らすでしょう。これが仏教のいうところの幸せだとしています。2000年前のこの話を、今我々はどのように味わうか、今それが問われているように感じます。 

合 掌