3月のお話
ホームぺージをご覧いただきましてありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させていただきます。
先月は、やっと春らしく暖かくなってきたかと思いきや、数十年ぶりの寒気が到来したりと寒暖差の激しい気候となりました。メディアでもヒートショックをテーマとしたお話が増え、室内においても寒暖差に注意を呼び掛けるようになりました。どうぞ皆様、お身体を大事に、ご自愛くださいませ。
さて、私が長年活動しておりました、ボーイスカウトでは、今月末頃にキャンプを行います。このキャンプでは中学三年生から高校生を対象として訓練キャンプと称し、日中の暖かさと夜の寒さを体験し、自然の厳しさを味わい寒暖差に備える主旨で、活動していました。
皆様、灯り一つない暗闇というものを体験したことがあるでしょうか。山深いキャンプ場での人里離れたところか、窓一つない人工的な部屋でなければ、よほどのことがなければ体験できないことではないでしょうか。現代の日本では光が全くないというような状況は、日常生活ではまず体験できないように思えます。
明治11年3月25日に日本で初めて電灯が灯り、この日を「電気記念日」としています。電気記念日のシンボルマークを観ますと、手のひらで光を囲むような、まるで合掌している中に光があるようなイメージがこのシンボルとなります。
真っ暗闇の山中でのランタンの灯は、その光がとても優しく、また安心でき、「あ!光ってこんなにも心をなごませるものなのか」と感じることができます。
限りある燃料の中での光だけでもありがたさを感じるのですが、皆様ご存知の阿弥陀様は光あふれる仏様でもあります。阿弥陀様の、阿弥陀には二つのサンスクリット語の音訳で、一つにはアミターバ=無量光と称し阿弥陀仏の光が届かないところはなく、空間的に限りがないということを示し、もう一方、アミターユス=無量寿と称し、阿弥陀仏の寿命は限りがなく、時間的に限りがないことの二つの語源から成り立っています。
キャンプのような自然の中にいますと、暗闇の中に対し光あふれる世界があるとどんなに素晴らしいのか解ります。夕方、山の向こうに沈む太陽、それまで光にあふれていた世界が徐々に闇が襲ってきます。急激に気温が下がり、私たちは暗闇の中では活動を止め、眠りにつきます。町の中での限りある人工的な光の夜以上に、光の意味がとても大事に感じます。
量りしれない光に満ちた世界、量りしれない命あふれる世界、それが即ち、阿弥陀様の存在であり、西方極楽浄土でございます。真西に太陽が沈む春分の日、秋分の日は阿弥陀様の住む西方極楽浄土を明確に感じることができ、より身近に感じる日でございます。手を合わせて、南無阿弥陀仏とお称えしたいと思います。
合 掌