7月のお話
戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
今年は梅雨入りが遅く、お盆の時はまだ梅雨のまっただ中になりそうですね。お盆の始まりはそもそも雨安居の終わり、梅雨が明け一緒に暮らしていたお釈迦様のお弟子たちが、共同生活の間に犯した自分自身の罪を懺悔する会で供養することから始まったといわれていますが、七月盆はどうも例年梅雨明け前に行われるようです。
いま日本で行われているお盆は、その起源話とは異なり、亡き方、ご先祖が一年に一度還ってきてくれるときだと言われています。八月盆だとわかりやすく帰省ということで、日頃は離れている肉親が帰ってきてくれる日ということになり、これもお盆の重要な儀式といわれています。つまりかえれる場所、家族がいることの素晴らしさ、安心感の確認、それがお盆の重要な意味合いです。
帰れるところというと、室生犀星の有名な詩に「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しく うたふもの」がありますが、室生犀星はふるさとそのものよりも、ふるさとを懐かしむ心が大事だと言いたかったと言われています。また女性に大人気の詩人中原中也は、『帰郷』という詩で「これが私の古里だ さやかに風も吹いている 心置きなく泣かれよと 年増婦(としま)の低い声もする ああおまえは何をして来たのだと 吹き来る風が私に云う」(以下省略)ふるさとのもっているやさしさと厳しさ、それが感じられる詩です。
作家の重松清さんはふるさととは、一番近くにいる人を一番好きでいられる場所、遠く離れてしまった人に『お帰り』といえる場所、助けを求められたらいつでもどこでも駆け付けられる場所の三つをあげています。これはある映画のフレーズだそうですが、あなたがどんなになろうとも、それを許して受け入れてくれるところ、そして人がふるさとなのでしょう。
作家の阿部譲二さんが昔刑務所に入ったとき、面会に来た母親に「ごめんなさい」と謝ると、母親に「なに、おまえが刑務所入ったおかげで、普通見れない塀の中まで見ることができた」と言われたとあります。阿部さんはこの言葉で立ちなおる気持ちになったと言っています。もしあの時怒られていたら、また反発して何も変わらなかったでしょうと。
自分がどんな状態になったときも、見捨てず、認めてくれる存在があったら、人はまた生きる力を持つことができます。それが場所であり、人であり、また見えないご先祖であっても、自分が戻れる場所があること、それが一番大事なことでしょう。そしてそれを確認する時が、お盆の季節といえるでしょう。
合 掌