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6月のお話

 ホームページをご覧頂きありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 先月18日は、大施餓鬼法要が近隣の僧侶とご一緒に盛大にお勤めさせていただくことができまして感謝申し上げます。日中は30℃近い気温となり、朝夕は20℃前後と寒暖差の大きい日となりました。なかなか、この気温差はからだの負担も大きいように感じます。
 さて、今月は梅雨時の雨の季節です。梅雨に入れば、毎日傘を必要とし、少し煩わしい季節のように感じますが、曹洞宗開祖の道元禅師の『正法眼蔵随聞記』の一節に「一日、示に云く、古人云く、霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる。よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」と云われ、霧雨の中を歩いていると、知らぬ間に衣服が濡れてしまうように、それと同じく、よき人と、よき友人と、よき教えと交わっていると知らぬ間に自身が良き方向へと導かれていくという言葉です。このように思えたら、濡れることも少し違って見えてくるのかもしれません。
 ただ、昨今よく耳にする線状降水帯と言われる大雨となると、ビショビショになるし、酷い時にはいのちの危険を感じるほどのこともあり、過ぎ去るのを待たなければならないこともあります。
 このように雨を、悲しみに喩えることができると思います。傘をさせば済むような雨であれば、傘のようになりその悲しみに寄り添い、心を穏やかにすることができるかもしれません。また、その雨が激しければ、家から出ることもできないように、立ち止まり過ぎ去るのを待つことしかできないかもしれません。
 ですが、そのような悲しみの中でも、その苦しい気持ちの中でも、その名を称えれば必ずお救い頂ける念仏の御教えに出会えたことを嬉しく思うと同時にありがたく思います。
また『無量寿経』の一節に、仏法を雨に喩え「法雨を澍(そそ)ぎ、法施を演(の)ぶ」とあり、雨は大地を潤して植物を生育させ、また生きとしいきるものの命を支える水を与えるとも云われます。つまり雨は悲しみだけではないのです。
 まだまだ若輩者の私ですが、いろいろな出来事に出あい立ち止まってしまうこともありますが、お念仏とともに生きていくことは悲しみが癒えるだけでなく、その糧ともなるということ、そんな思いを気づかせさせて頂ける月になるように感じます。
 

合 掌