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3月のお話

 戒法寺ホームページをご覧頂きありがとうございます。
 三寒四温という言葉が、何か恐ろしさを感じさせる今日この頃、あまりにめまぐるしい気温の変化についてゆけず、戸惑う毎日を感じている方も多いことと思います。
 さて、気がついたらもう3月、おひな様を出すのを忘れていた方も多いのではないでしょうか。この雛祭り、歴史を見ると意外と新しいことに驚きます。どうも今の形になったのは江戸時代の寛文年間(1661~1672年)頃のことのようで、それまでは雛流しだったようです。つまり私たちの罪や穢れを人形などにたくして川に流す行事だったようです。何でも悪いことは水に流すとよかったようです。西洋では罪を雄の羊に背負ってもらって荒野に放すという、いわゆるスケープゴートが行われていましたが、日本では浄化作用は川にあったようで、川は流す意味と同時にこちらの岸から向こうの岸に渡る事も大きな意味を持っていて、向こう岸は理想の世界を意味していました。
 仏教ではこちらの岸を此岸、向こうの岸を彼岸と喚び、此岸を私たちのいるところこの世とし、インドの言葉ではサハー(娑婆)、意味としては「忍土」、彼岸を理想の世界、安楽なるところとしてインドの言葉でパーラム(波羅蜜)悟りの世界としました。この此岸から彼岸に渡る教え、方法が仏教です。
 それには様々な教えがありますが、すべて方法論としては三つになります。つまり教え、智恵を学ぶこと、心を統一する禅定、そして生活の規範、戒律を守ることです。宗派などでこの三つにそれぞれ違いはありますが、この三つは仏教徒は否定することはできませんでした。否定すれば仏教徒でなくなってしまいます。しかし法然上人という方は、自分自身を見つめると同時に、多くの人々のことを考えました、そして言ったのです。「私にはこの三つを成し遂げることはできない」と、これはすごい言葉です。まるでアンデルセンの童話『裸の大様』の少年の言葉「王様は裸だ」に通じる言葉です。法然上人はすべての人が救われなければ、仏教の基本に反することと思いました。そして仏教をもう一度洗い直し、学びなおした結果、善導大師の次の言葉に出会います。「一心に阿弥陀様のお名前を唱えなさい、そうすれば阿弥陀様が救ってくれる、それが阿弥陀仏の願に順じている行為だから」です。
 この念仏一筋に心が定まった年を1175年とし、そこから数えて今年が850年になります。自分が一人が悟りを開くことを目指すのではなく、周りの多くの人々と共に安楽な日々を目指す教え、それが法然上人が目指した仏教です。

合 掌