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10月のお話

 ホームぺージをご覧いただきましてありがとうございます。今月は弟子の岱忠が担当させていただきます。
 暑さ寒さも彼岸までとはよく申したもので、朝夕は涼しくなってきました。まだまだ暑い日もありますが、徐々に涼しく過ごしやすい季節になってきたように感じます。
 さて、10月に入りますと、胸に赤い羽根をつけた人をあちらこちらで、よく見かけるようになります。私も、ボーイスカウト活動をしていた時、早朝から子供たちと一緒に駅前で赤い羽根の活動を行っていたことを思い出します。この赤い羽根の運動は、赤い羽根や共同募金と略されたりしますが、正式には赤い羽根共同募金といわれ、1947年に始まり、現在に至るまで76年の歴史を持ちます。私たちひとりひとりがお金を出し合い、実際に困っている方々に少しでも生活の足しになればという、助け合いの運動です。
 私たち世代ですと、金八先生のお説教で「人という字はお互いに支え合ってヒトとなる」という名セリフを思い出す人も多いかと思います。もちろんその通りで、私たち人間は、一人では生きていけないもので、助け合って、支え合ってはじめて人としての営みができるのだと思います。ただ、悲しいことに、助け合い、支え合うのも人、いがみ合い、奪い合うのも人の行動なのだと思います。どうしても、自分中心に考えてしまい、相手を思いやる気持ちが欠けてしまいがちです。
 私自身が子供のころは、募金箱を肩に下げ、駅前で声を張り上げて「赤い羽根にご協力お願いします!」と叫んでいましたが、成人し指導者という立場になり、子供たちに赤い羽根の共同募金の説明をすることが増えました。その時は、「ひとりひとりは少ないお金でも、みんなで少しずつ出し合えば実際に困っている人を少しでも助けることができる、そんなおもいやりの心を形にしたのが赤い羽根のバッチだよ」と説明していました。
 何かを成すときに、それが形として戻ってくるということはとても充実し大切なことなのかもしれません。そして、今、僧侶となりもう一歩先に思うことができました。
 それは、どうしてもその羽が欲しい、募金をすれば誰かを助けているという実感や達成感が欲しいという対価を求めるのではないということなのではないでしょうか。もちろん形にしていくということも大事なことの一つではありますが、形には欲が付き物で、募金額の数字に目を奪われてしまい、また、これだけやったんだからという思いになってしまいます。
 それよりも、助け合い、支え合うという言葉が出ないほど当たり前のような平等な世界になることが必要なのだとは思います。ですが、悲しいことに常にその思いが続くわけでもなく、又、人間にとっては限界があります。どうしても、平等にすべての人の幸せを願い、行動することができないのが私たち人間なのだと思います。
 このような断片的な限界のある人間の慈悲よりも、すべてを等しく、平等にお救いくださると誓い仏さまになられた阿弥陀さまの人間とは明らかに違う次元の慈悲に帰依し、我が名を呼べば必ずや西方極楽浄土に往生させるという「称名念仏」のみ教えを実践していくことなのだと思います。

合 掌