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 副住職が椎間板ヘルニアになり、永く座ることもできないほどの痛さとのこと、現代の治療はとにかく1ヶ月間絶対安静がいいということで、この原稿は九月と交代することになった。今無理して九月に動けなくなるのと、今安静にして九月は動ける可能性があるのだったらどちらがいいですかと言われてしまえば、九月のお彼岸に備えてもらうしかない。痛みは本人にしかわからないもので、気のどくだとは思うが、なんとも同情するのが難しい病だ。
 さてこの暑さ、炎天下にいると必ず思い出す話がある。道元禅師の『典座教訓』の中にある中国での修行中の話だ。炎天下で椎茸を干している老僧がいたので、道元さんが歳を聞くと六十八歳と言う。そこで、そのような仕事もっと若い人にしてもらったらと言うと、「他は是れ我にあらず」他人は私ではないと言う。そこで「日が陰ってからしたら」と言うと、「更に何れの時をか待たん」あとでと言っていて、そのときが来るか。と言われもう何も言えなかったという話です。
 「今、ここで、わたしが」なすべき仕事をしっかりとせよ。
 いかにも禅宗ぽい教えです。現在六十九歳直前の私は、昔は大変な老僧と思われたのだなあと、別の感慨を持ってしまいましたが、まだまだ若い部類に入る現代の僧侶の世界では、暑さくらい頑張らなくてはと身を引き締める話です。
 中国の古典『淮南子』に「塞翁が馬」という話があります。老人の飼っていた馬が逃げ出して、北の胡の国に行ってしまいます。近所の人は「お気の毒に」と言いますが、老人は「なあに、これはいいことですよ。きっと」と言うのです。しばらくしてその馬が駿馬を連れて帰ってくるのです。近所の人は「よかったですね」と言うと老人は、「いやいやこれは悪いことですよ。多分」と言います。すると老人の息子がこの駿馬から落馬して足の骨を折る重傷を負います。また「お気の毒に・・・」と言うと、「なあに、これはきっといいことですよ」と返します。そして案の定、胡の国と戦争になり、若者がみんな出兵し、八割から九割が戦死してしまいますが、息子は無事でした。足が悪いのでかり出されずにすんだからです。ここから「人間万事塞翁が馬」という言葉が生まれたようです。この人間はじんかんと読んで、世間の意味です。
 でもこの話多くの人が、「苦は楽の種、楽は苦の種」のように、苦と楽が交互に来ると理解いしているようですが、苦の中にも楽があり、楽の中にも苦があると読むべきだそうです。苦を苦として見つめたとき、他のものが見えてくるということです。

合 掌