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1月のお話

 新年明けましておめでとうございます、今年もどうぞよろしくお願いいたします。   
 今月は弟子の岱忠が担当させて頂きます。
 今年は午年です。午年は、変化を恐れず新しい挑戦に踏み出すパワーを秘めた年とされ、行動力や独立心を促す年と解釈されています。また、十二支の中で丁度真ん中にあたり、時刻では十二時を指し、いわば折り返し地点となり、転換期ともいえるのでしょう。
 そして、馬と人との関係を考えると、現代に至っても車の速度や運搬能力の例えに○○馬力というように、私たちの生活には欠かせない存在であることも言えると思います。ですが、馬は時として飛び回り、制動が効かず大変な目に合うこともあります。現代社会でも、AIが幅広く導入されて、世の中はめまぐるしく動き回る年ともいえるのかもしれません。ですが、しっかりと手綱を引くことで新しい時代になるのではないでしょうか。
 さて、馬の話となりますと、古代中国の思想をまとめた淮南子の人間訓が由来の「人間万事塞翁が馬」の話を思い出します。
これは、中国北方の塞(とりで)近くに住む老人(塞翁)の飼っていた馬が、遠くの異民族(胡)の地へ逃げてしまいました。近所の人々が慰めると、塞翁は「これは幸福なのかもしれない」と言いました。そして数か月後、逃げた馬が胡の地の優れた馬(駿馬)を何頭も連れて帰り、人々が祝うと、塞翁は「これは不幸かもしれない」と言いました。その後、塞翁の息子がその駿馬に乗って遊んでいると、落馬して脚の骨を折ってしまい、人々が見舞うと、塞翁は「これは幸福なのかもしれない」と言いました。その一年後、隣国との間に戦争が起こり、塞の近くの若者たちは多くが徴兵され戦死しましたが、塞翁の息子は脚を折ったためその兵役を免れ、命拾いしたという話です。
 人生において、幸不幸は予測しがたいことであり、私たちに何かが起こるとその都度一喜一憂しがちであるということを戒める話で、もっと言えば、苦があれば後に楽もあり、またその逆もあると捉えることがこの教訓の解釈だとしてしまいます。ですが、これは日本人的な解釈のようです。苦がいつまでも続くことがあった場合そんなことが言えるのでしょうか。
 この語をまとめた中国で解釈すると、苦の中に幸が内包しており、また、幸の中にも苦が内包していると解釈することがこの教訓話なのです。ものごとを捉えるときに自身の尺度で勝手に推し量ってしまい、なかなか不幸の中にも幸があるとは言えないこともあるかとは思います。ですが、少しでも見方を変えてみることができれば、それは幸せになれるのではないでしょうか。
 悪いことがあれば後に良いことがあると時間の流れで捉えるのではなく、そのものごと一つには良いことも悪いこともあると見方を変えて多面的にみることが仏教的なものごとの見方なのだと思います。
 そして、この世に生きていく限り多くの辛いことや悲しいことなどの苦しみがありますが、その苦しみの中でも、分け隔てなく必ずやお救いくださる阿弥陀様が存在するということが如何に幸せなことなのかと私は思います。ものごとを極端に捉えてしまいそうになった時、お念仏をお称えし阿弥陀様に委ねることで心が落ち着くのだと私は思います。
 今年は飛翔の年となりますが、今一度、自身を省みて一歩一歩心を穏やかに邁進できるよう努めてまいりたいと思います。

合 掌